盲と年弱

 隊長に昇格したころのことだ。

 ハンデがありながら、とか子供だてらにという感嘆は全て自分にとって無意味で厭わしかった。だからだと思う、九番には必要以上にそっけなくした気がする。

 マイノリティで群れるのを嫌っていたのだと、そう理由付けた。

 

 そうしていながら、かの人物がそれを厭いも同調もせず、ただ細い頤に厳しさと生真面目さをまつわらせて立っているのを覚えているくらいだから、自分はそれなりに様子をうかがっていたのだ。庇護されるべくそこにいたわけではないと、必要以上に肩肘を張って、しかしそれすらも無造作に隠してしまえる己を知っている。だけれども他人がわからない。あの男は一体何を見て何を考えているのか。

 

 まともに言葉を交わしたのは大分後のことだ。

 確か、藍染のところに招かれて、そこでかち会った。

 濡れ縁に掛けた彼は、藍染に対してかつての部下上司という狎れは無く、酷く穏やかに、唯穏やかに儀礼的に寛いでいた。

 日番谷に対してもやわらかく笑い、様子を尋ね、よどみ無く会話を交わす。ふとしたところから、元九番の十番隊員の話になった。

 「―――一和(ひとなぎ)は、気張らずにやっているだろうか。あれは緊張するとよく失敗してしまうんだが…」

 ごく遠慮がちに、尋ねてきたのになんだか曖昧なな答えしか返せなかったはずだ。あの頃はなにしろ他者の悪意と過剰な関心を避けるのに手一杯で、他人のことをよく見れてやれなかった。だから東仙がこまごまと件の隊員の資質を語るのに、驚嘆したし隊首とはかくあるものかとも思わされた。

 「―――すげぇな。そんなに見てるもんなのか…」

 期待した応えとは違っていたらしい、一瞬、彼はきょとん、として直ぐに恥ずかしげに眼を伏せた。

 「どうも、心配性なものだから…」

 色の濃いゴーグルの向こうで、白い瞳が睫に見え隠れするのを観察してしまった。

 ああ、と。

 (この瞳は彼らを見ているのだな)

 腑に落ちた気がした。普段見えぬものを目にすることは、何かを知ったのに近い感覚を呼び起こす。

 しばらく瞑目する。眼裏に隊員の顔を思い浮かべてみた。覚えはいいはずなのに、顔はどれも同じ濃さでぼやけた。足元を掬われぬよう、距離を置くことばかりしていたのだから当然だろう。

 「すげえな」

 「私よりも、藍染隊長の方がはるかによく知っておいでだし、気もお遣いだよ」

 私などとてもそうはいかないね、と優しく笑うのを見て、そんなもんが戦闘の役に立つのかという毒さえ吐く気にならなかった。

 「隊の紐帯というのは、とても大事なことだしね」

 

 数日後、件の隊員に九番回付の書類を持って行かせた。「ついでに昼行って来い」と付け加えたのは、久闊を叙さしめるため、というほどのものでもなく、先だっての出来事が頭の隅に残っていたからだろうと思う。

 隊員は一瞬戸惑って、日番屋の顔を見つめた。新顔だと揶揄しているのかと。

 「―――東仙が大分心配していたからな。お前ちょっと行って十番隊自慢して来い」

 言って、にやりと笑って見せた―自分でもうまく笑えた自信はなかったが、その頃はとにかくレアだったのだ、日番谷隊長の笑顔というヤツが――のに、一瞬目を剥き、隊員はすぐさま嬉しげに身を翻した。

 

 その後東仙と彼がどんな言葉を交わしたのかは知らない。知っているのは、彼が日番谷にも東仙にも怖じなくなり、敬愛といってもいい感情を抱くようになったことと、そこから日番谷と隊員たちとの間の壁が融けていったこと、そして叛乱の際彼が錯乱の後に自刃したということだけだ。それともうひとつ。似たような死は十番隊だけのものではなかった。

 ある者はむざむざと自隊の事情を漏らした己を愧じ、ある者は己を使唆した反逆者を呪い、罪に慄いて死んでいった。

 

 蜘蛛の巣だよ。

 穏やかな褐色の笑みを思い出す。

 蜘蛛の巣のようなものだよ、経糸と横糸を密にすれば、それだけ強固になる。自隊に誇りを持つ者は、他隊にも敬意を払う。

 

 蜘蛛は誰だったのか。触れれば伝わる振動を捉え、巣の中心で獲物を待っていたのは。知らぬうちに身の回りを透明の糸でがんじがらめにされ、手の内を知らずに晒していたむしたちは誰か。

 (…阿呆だ)

 

 こどもが皆無邪気なわけではない。欠損者がみな表裏無く純朴なわけではない。無垢なものは唯己の努力と資質を以ってそうあるだけなのに。

 そのはずだったのに。

 自分は結局目先のものに眼を奪われた唯のこどもで、彼もまた自分の中の清浄なものだけをまもって何も見ようとしていなかった。

 

 我と我が身とを絞り出して綴った縒った糸はかれの周りを厚く取り巻き、さんざめいて彼の名を呼んだ。巣の中の彼は、冷たい外骨格を残して細く細く融けていき、呼び声に応えることも叶わなくなった。

 

 ただ、彼の張った蜘蛛の巣は整然と美しく、虚ろな彼の棺となって、消えてしまった彼の名を呼ぶ。