十一番隊の副隊長は気前がいい。
それは単に時間 中期的な視野とか節約の精神とかそういうものの欠如から来ているには違いないのだが、それでも満面の笑みとともに差し出されるそれを、美徳以外になんと呼ぼう。
たまさか、そういう場面に出くわすこともある。
彼女の、そういう子供めいた容姿を裏切って、やちるには占有欲らしきものはほとんど見当たらない。自分が満足してさえいれば、手元にあるそれが大事な菓子だろうが高価な消耗品だろうが、見境無しに周囲に分け与える。否、更木剣八にだけは差し出すもののなかみを精査しているようだが、それは彼女が自己の満足と彼のそれを重ね合わせるほどにふたりが近いからに過ぎない。無論、数限りない「あげる!」「いらねえよ」のやり取りの学習ともいえようが。
「あげる!」
今日も今日とて、朱鷺色の頭から高い声が響いた。
同時に差し出される金平糖は、今日は珍しく巾着につめられた小ぶりなもので、いかにも繊細そうな綬飾りをつけていた。中身よりも雰囲気を喜ぶ、小金持ちの女子供の好みそうな品だ。
やちるは、甘くて量と色数の多いものが好きだからこれは人となりをよく知らない誰かが寄越したのだろう。当人は雰囲気で腹を満たすような真似はしないから、早々に飽きて残りの小袋を配り始めた、そこにこの堅物の隊首が出くわしたというわけだ。
「………ありがとう。ただ、すまんが―――」
「ハイハイハイ!有難うございますー草鹿副隊長、頂きますねウチの隊長もおよろこびですよまったくどうもありがとうっすところでお返しは何がいいっすかよければ家の新商品でも」
「わーいありがとー」
不躾だろうとなんだろうと、この上司の前では少々強引に割り込まねば話が進まない。どうにも容認できないことなら鉄拳が飛んでくるから、それで意向が計れないこともないし。ちらと見やれば眉間の皺は深いが、拳を握ってはいないから大丈夫だろう。
「…ああいう場所では、とりあえず貰っときゃいいんじゃないスかね」
「要らんものだ」
「それでもっすよ。あげたいっつってんだから目の前で受けとっときゃそれで場が収まるんす。
―――貰った後で、隊長が隊員にでもやりゃあ無駄にもなりませんし」
そんなことは、砕蜂とてわかっているはずで、それでも固辞するには理由があろうが、頑な彼女がそれを語るとも思えなかった。
「………香りが」
「?」
―――珍しい。口を開いた。
「香りの札がついていた。多分、一包みにつき一種だろう。私が受け取らなければ、私よりももっとこれを望むものの手に入ったかもしれない」
「ああ。そういう…」
そういえば、妹が色が違うだけの小物を前に、連れて来た友人たちとこれがいいあれがいいと騒いでいた。女の子特有のこだわりというべきか。そういうのは、持つ物に纏わる物語を以て自分を飾りたい子供の時期特有のものかと思っていたが。
「…まぁ、この世に1セットしかないもんでもなし、欲しいと思う奴の手にはいつか渡るもんすよ」
―――こういうところで、この人も恵まれた人間なんだなぁと思わされる。触れたもの全てが、そのところを得て喜ばしく迎え入れられることを望むなど。淘汰されるのが当然と、要らぬものを切り捨てる選択を避けようとする。
或いは、その手にあるものに自分を重ね合わせずにはいられないのか。
連鎖的に、やちるを思い出す。
決して恵まれた子供ではなかったはずだ。流魂街の外れで育ったという。剣八を除いて誰にも分け隔てなく、物を分け与えるのは、物に執着しないからだ。少なくとも明日残っているかどうかも知れない菓子よりも、それを施されて喜ぶ人間を選ぶ。荒野に育つ人間は、明日飢えるよりも、手の内にあるそれを奪われるついでに毀損されることを恐れるのだ、と。昔誰かに聞いた。奪われることは許容しえないのに、奪われることでしか物の価値を知ることができずに育った子供。だから、得たものを、得るはずのものを易々と手放せるのだ。
自分は違う。
成金が成金でいられるのは、周囲が限られた資源を獲り得なかったからだ。資源は限りがあってそれを占有しれているからこそ、自分の家は持てる者でいられる。資財を惜しみなく分け与えることができるのは、資財以外に自己を自己たらしめ得る何かを持っている人間だけだ。それが骨の髄まで身にしみているからこそ、自分はこうして生きていられる。大前田家は繁栄を誇ることができる。
前を歩く小さな頭を見下ろす。
noblesse obligeと嘯く貴族たちは、家紋と職位を剥ぎ取れば、自分がただの霊子の塊に過ぎないと気づくものだろうか。霊的な潜在能力が高くとも、狩場でどれだけ敵を屠れるかは個人の資質と経験がものを言うと。家名など知りもしない虚や商売敵とのやり取りの合間に、その価値を―――
「というか、正直別に欲しくもない」
「まあそれはさっき言った通りお愛想ってことで」
けれどもただ、他愛のない菓子をやり取りしてつながる自分の回りに築きあげた人の輪が、大前田には愛おしい。
「―――それで何だったんスか?その香りっつーのは」
「金木犀、とある」
歩みの速度は、変わらない。取るに足りない会話のために時間を割くことを、砕蜂は許しはしない。
(それでも、問いかけには応えるようになった)
「へぇ、お好きですか」
「さて、どんな匂いだったか…」
こんな風に、執務室への帰り道に雑談するような。
「―――隊舎の後架と同じにおいがする」
「………あー」
本物の香りを知らないのか。それにしてもほかに選択肢がありそうなものを。
「今度一枝折ってきますかね」
「頼む」
そうして、約束はそのままになった。
口にはされなかった金平糖の包みは、今も応接室の控えに可愛らしく立てかけられている。持ち主の意を受けて日々埃こそ払ってあるが、香りはとうに飛んだろう。
この戦役で、やちるも随分と泣いただろう。あの子供が泣くのは、未だ十一番隊の隊首のことでだけだろうか。それとも、自分のようにこの世界に対して何がしかの覚悟を抱いただろうか。
「―――兄様は稀代だけじゃあなくて、瀞霊邸のみんなを護らなきゃなんねぇ」
秋の花を隊首室に持ち込むように、俺が知る世界を拓いて道を踏み固めて、生きていくために。
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