乱七 なんかキラキラした感じで(どこが) 現代パロ


 金曜夜の渋谷なんて、酒臭くて煩くてうんざりするばかりだ。
 だいたい西新宿に勤める自分がなぜこんな方向違いの場所に呼び出されなければならないのか。
 人の波のなか、右肩にかかる不規則なリズムを感じながら、間の抜けたステップを踏む。

 

 大学であれ会社であれ、つねに酔い潰れる方でなく介抱する方を仰せつかってきた自分だが、人いきれの間に漂う酒の臭いには未だに、つい眉根がよる。諦めてはいるが、気に入らないものは気に入らない。呆れにせよ嫌悪にせよ、苦笑して受け入れられない類のものだった。

 「なーなーおー」
 酒臭さの権化でありわたしを呼び出した張本人であり(不本意ながら)長年の友人であるところの松本乱菊がしな垂れかかってきた。電車を待つ僅かの間も、慎みは保たないらしい。
 (重い)
 目下、泥酔中である。
 友人関係が多分に片務的なのは本人も多少は後ろめたく思ってているらしく、誘いはたいがい彼女から、比較的懐の暖かい時期ばかりだった。もっとも、酒を専らにするのは彼女なのだから割り勘では割に合わないのだが。
 (変なところで、律儀なんだから)
 とは言え、その一点にも頓着しない無遠慮さを剥き出しにしていたら、きっと永くは付き合えなかったろうとも思う。

 (他人に平気で依存するひとは、たぶんわたしには受け入れられない)
 自分と他者の規範を、切り離せない程度には、七緒は狭量な人間だった。他人を無条件に甘やかすことができないのは、自分が甘えたくないことの裏返しだった。
 (たぶん、乱菊さんは違う)

 奢りたい人間には目一杯奢らせて、必要となれば自分から大盤振る舞いもする。便乗したフリーライダーがいても気にしない。その癖、七緒のような人間にはだらしない姿を控える。それは与しやすいといった打算ではなく、彼女なりのマナーなのだ。

 

 けたたましい警笛と、べたつくアルコール臭をまとって電車はとまる。吐き出される、ひとびと。そのどれも、灰色の泡を被っているような。右隣だけが、不愉快に暖かくてリアルだ。

 

 右肩にかかる腕が静かに退いた。起き上がるかと思いきや、しなやかな指が肩を圧してくる。
 「うっわアンタ凝ってるわー。よくこんなんでほっとけるわね」
 「ちょ、何してるんですか、やめてください」むず痒いのと痛いのと、気恥ずかしさから上半身を捻って逃げると、面白がって右腕が追いかけてくる。自分自身の背中を隠して、勢い向き合うかたちになった。ころころと喉を鳴らす笑いはすぐそばから。右腕は背中を滑って、肩に額がおりてきた。(これだから酔っ払いは)
 「ななおー」
 「はいはい」
 「酔ったー」
 「下ばっかり向いてると余計気持ち悪くなります」
 「ケチくさいわね。肩ぐらい貸しなさいよ」
 「はいはい」
 「後で肩揉んだげるー」

 「はいはい」
 いつまで、こんな風にじゃれ合えるんだろう。

 今はまだ、ふざけた若者の振りをしていられる。羽目を外すことが、ゆるされる。アルコールの力を借りて、馬鹿みたいに振舞える。酔ってたんだもの、と『失敗』を目溢ししてもらえる。
 (もっと歳をとったら)
 もっと周囲に人が増えたら。
 分別をもて、と壁は季節が変わる度にこの身に迫ってくる。
 (彼女が笑って壁を踏み越えてくれるから)
 まだ自分もバカをやってられる。「だって楽しいじゃない」と手を引く乱菊についていける。「何やってるんですか」と苦笑して。

 

 (失うことを恐れているけれど、でも手に入れてもいない)

 乱菊が押し付けてきた肩を抱いて、でも仕方なく、という風を装っている。熱を持った肌が、こんなにも愛おしいのに。
 都心から遠ざかる電車のなかで、空席にも気付かない振りで立ったままでいた。


 


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