東仙をなくした砕蜂と檜佐木。

修砕かも。

 

髪型捏造。


鏝を当てる。髪の焼けるにおい、僅かな痛み、引き攣れるこめかみ。自分が今感じているこの感覚は、かつて彼のうちを流れたそれと同じだろうか。

「―――かなり傷むぞ。失敗したら剃るしかねぇと思っとけ」

檜佐木修兵が髪を編んだ。
見たものは皆、息を呑む。左顳顬のひと房、僅かに伸びた髪を縮れさせて、地肌ぎりぎりに編みこむやり方は、かつての九番隊隊長の姿で見知ったものだ。

 

莫迦なことをする、と鼻白む向きが多い。当然のことだ。九番という立ち位置-それはすなわち東仙要の部下であった過去を呼び覚ますものに他ならない。

弾劾も反駁も弁護も何もなく。何が罪か何を過ったのか何ひとつ明らめぬままに東仙の生は潰えた。動機の忖度も情状酌量もなく、謀反という護邸にとっての事実と、東仙要という名が、今はただ併記される。
―――魂の理の守護者たるべしという護邸の誇りは、その担い手である死神自身によって汚された。謀反は首謀者たちの死によって収束し、首謀者の名は、彼らが犯した罪と分かたれぬままに史料に刻まる。彼らのその意思と結果の間にある何かを誰も探ることが出来なかったために。


「―――ひとは東仙を知らぬし、知ろうともせん」

いらぬ詮索と疑惑を呼び起こすのは阿呆だ、と砕蜂はいう。

「ただの、飾りです」

「そうと思わん人間も多かろうな…」

檜佐木も解ってる。護邸は、かつての反逆者を想起させるものを以って、即座に装う人間の意思を疑うだろう。謀反の意図を付会する輩もいるだろう。かつての「反逆者」の部下であった檜佐木自身が、装いにそれ以上の意味を付与する。それは見る側の判断であって、檜佐木の意思が反映されるわけではない。 

そもそもそんなものに意味があるのか、と自身に問う。

「ただ、俺があの人を忘れていないことを証したいんです。多分」
―――知っている、と砕蜂は溜息を吐く。

 

「我等が、彼奴を殺した」

"わたしが"といっそ言いたかったと砕蜂は胸のうちで呟く。けれど彼の前に立ちはだかったのは彼の盲いた目に映る、死神という風車だった。巨人に立ち向かう誇りは彼の胸にはなく、憎悪と名づけた亡霊の指が指し示すまま、只管に奔っただけだ。彼は死神ひとりなど、意に介しもせず。彼は、死神でも砕蜂でもなく、砕蜂のはるか後ろを見つめていた。

 

―――互いに憎み合えれば、それ以上の喜びはなかったであろうに。

ひとひとりを憎むには、彼は聡過ぎ、そして優し過ぎた。どんなことがあろうとも他者を赦すことが出来、ただ自分が憎悪から解放されることだけは赦さなかった。
(そういう男だ)

今もそう思い起こす。何もできないのに、ただあの男の視線を惜しんで。


この子供が望むのも、そういうことなのだろう。自身の視線が東仙と交わることを願って、叶わぬそれを、誰かの視線に仮託している。怨んで、まして憎んでなどいないと、ここにいない誰かに言えぬまま、胸にしまうには重たすぎる。吸い込んだ息は吐き出さねばならなかった。


苦しさを抱えて、わたしたちはそれでも歩み続けなければならない。

 

溜息をひとつ吐いて、砕蜂はもう一度言う。

「阿呆だ、貴様は…」

ここにもひとり、生き辛い道をあえて歩む子供がいる。伸ばした右手は耳を掠めて編んだ髪に触れた。そのまま額を肩に預ける。

(わたしも退こうと思ったに)

先の戦で、砕蜂は腕を失った。

死神の隊首は、単なる管理者ではない。霊力の高さゆえに自身を魂の司であると任ずるこの世界あっては、強くあるものこそ、 その力を振るわねばならない。それはすなわち理から外れる魂魄の抹消という戦闘行為だ。

組織を束ねることそれ自体は副次的な任務であり、隊首は、あくまで自ら闘い―それは、対象を斃さねばならぬという前提から、実際には殲滅に他ならない―に挑み、必ず勝利に至らねばならない。蜂の巣に擬えられる刑軍の長 砕蜂さえ軍師である前に兵だった。


それが、腕を失った。利き腕でないとはいえ、慣れた重さを失えば均衡を崩す。死にかけた腕を継ぎ、薬で感覚を留めても、拭い去れない違和感に歯噛みする日が続いた。技局の連中に神経節を弄らせて、ようやっと人心地ついたに過ぎない。焦燥の日々で、大分部下たちに負担をかけた。

 

『―――どうか俺を、手とも足とも―仇とも』
大前田は首を差し出しにきた。そうさせるほどに、己は余裕をなくしていたのだ。退いてくれるな、とそのいのちを懸けて請うて来た副官は、常になく真摯で、一蹴してしまうにはその存在が大きすぎた。戦えぬ己が何故隊首の地位にしがみついているのか、ただわからなかったというのに。

(今もわからぬ)

 

逃げ場を見つけた自分は、もはや女王ではない(いや、女王になれたことなど一度たりとなかった)

ただ先の女王の影を追ってここまできた、兵士に過ぎない。

 

その己が、ここに留まったのは、ただ絆されたのだ。おそらく。

後継が育っていない、誰しもが担える組織ではないと、そんなものは擲とうと思えば擲つことのできる小理屈だろう。ただ己は、己の主や、そして彼のように縋るものを一顧だにせずに捨てていくことが出来なかった。

 

「阿呆でも、そうしないと生きていけないんで」

棄てられた子は、棄てた彼らを憎悪するかそれでも執着しているのだと開き直るしかないのだ、と檜佐木は笑う。莫迦なことを、と後ろ指を差されながら、彼と彼への思いをこの身に刻んで、歩む。同じ傷を持った、より歩み辛い道を行く人間を知っているから、これは自分の択んだ道だと胸を張れる。ともに歩もうという、その言葉が幾度拒絶されようとも。

(あなたを理解せずとも、あなたのために死ねる人間がいくたりいるか、知らないでしょう)

そうやって自分をみとめないのだ。彼と同じように。

だから彼を偲んでいながら、彼と同じようにかたくななこの隊首を慈しまずにはいられないのだ。

 

ただそのことが、ふたりを結び付けている。