今日はクリスマスです。

 

「なーなーおーお買い物―――」

「何を言ってるんですか、就業中ですよ」

 

「ねぇねぇ、ちょっと贅沢してごは」

「十番からの書類が滞っていて、総隊の締めが遅れていると経理が」

 

「みてみてーシュトーレン差し入れに」

「えぇどうもありがとうございますついでにそこに座って年度処理の手順確認のうえフロー図作成と配布書類の追加と各隊忘年会と警邏スケジュールと休暇申請の一次チェックとその決裁をお願い致します。え?副隊長印?臨時処理ですからあとで結構、まずは目を通して。技局から虚対策として新案がでてますからそれも同じく。但し現世にまで及ぶ徹底したインフラ整備を要するという点で現段階での実現可能性を著しく欠いていますのでそれに対しての対案ないしロードマップ再提出の要請を。何でしたら予算案まで踏み込んで頂ければなお助かりますね、彼らにはその思考がありませんから。それから女性死神協会の新年イベントと若手育成のためのなんとかカンファレスの開催という要望が、貴女に対して出ていますので、早めに決断を。やるのであればただの飲み会にならないよう準備してください。何ならレファレンスは手伝いますが、設営の采配と理事長への申請はご自身でお願いします」

 

「さー飲むわ」

「何言ってるんです、若手と所帯持ちが早帰りしてるんだから残務処理で時間がかかるに決まっているでしょう。隊長が行方不明のときに貴女まで席を外したら、何のために権限委譲されてるのかわからないじゃありませんか」

(雛森と約束があるって訊いて、無理矢理送り出したなんて言えない・・・)

「………はい」

 

 

「―――…終わった………」

世の果てに辿りついた、という声を漏らしたのは、勿論乱菊のほうだ。

「終わりましたね。お疲れ様でした」

「何よアンタ、今日はクリスマスなのよ? 何もこんな日にこんなに詰め込まなくたっていいじゃない」

恨みがましさが滲むのも無理からぬことと、乱菊は思う。虚の急襲だとかそれに伴う緊急出動、四十六室からの特別指令だとか、そういう突発事項が持ち上がったわけでもないのに、むやみやたらに忙しかった。只管に雑務に忙殺された、といっていい。ことに、正規の終業時刻を終えてからは、監視と称した七緒の呼び立てにより、八番隊の執務室で大量の決裁に追われた。普段座りつけない硬い椅子に、押し付けられてそろそろ尻が痛い。

しかも、それを強いた当人はといえば目も上げずに書類と格闘し、或いは無常にその余波をこちらに投げつけてくるばかりだ。

「イベントの日だから、人が出払ってルーティンが回らなくなってるんです。我々がフォローせずに誰がそうするんですか」

「…上が休まないと下も休めないじゃない」

気を使って、と唇を尖らす。乱菊自身はそういう非合理性とは無縁だが、何処にでもサービス残業=貢献と考える輩はいるし、そういう無駄をなくさせるのも上司たるものの役目だ。―――たとえば平時には率先して早く帰るとか。

「―――えぇですから休みます。この週末は連休とりましたから」

なんと。思わず瞠目する。

虚や浮遊魂魄の活動にはある程度の周期性がある。早い話が暦に連動するし、それによればその時期は間違いなく繁忙期だ。依怙地なほどに真面目な七緒が休みをとるなど、信じがたい。

「え、何それずる・・・」

「何を言ってるんですか、貴女もですよ」

「は?」

「貴女、スケジュールいつも事後で入れてるでしょう。臨機応変なのは結構ですけど、予定が立てられないんですよ、周囲は。―年末まで埋めておきましたから」

「ちょっとあんた勝手に」

相手の意図を掴みきれなくて、反論は上の空になる。

未定だからこそ利く自由もあるし、そういう働きかたもある。少なくとも適応力ととっさの判断力に自信のある乱菊はそうしてきた。それを否定するのは、いくらなんでも横暴が過ぎる。―――いや、そうではなくて。七緒はさっき何と言った?

「オープンソースの管理帳で何言ってるんですか。

―――文句があるのならどうぞご自由に修正してください。部下や周囲との再スケジュールも含めて」

「…」

こんなふうに、矢継ぎ早に言葉を接いで、相手を煙に巻くような人間ではなかったはず。こんなふうに、相手の目も見ずに、殊更に無表情を強調して。

「ですから週の後半はきっちり引き継ぎと繰上げ処理と根回しに使ってください。週末は、以前貴女が行ってみたいとおっしゃっていた雪見酒と温泉のある古宿の予約も取ってありますし、お好きな銘柄の新酒も用意してありますからご自宅でもいいでしょう。お好きに使ってください」

「………」

言葉は要らない。乱菊は相手を見つめなおす。

「―――だいたい、クリスマス当日なんて何処へいっても混んで待たされるしサービスの質は落ちるしイベント料金を上乗せされるし、日付自体に思い入れがあるわけでもない人間であれば、他の日と置換可能なんじゃな」

「――――あんた、あたしと二人になりたかったの?」

沈黙が落ちた。

七緒が息を止めて、はじめて目をあげる。常に増して眉間の皺が深い。だからといって勿論恐れる必要もなく。引け目を感じているのは、七緒のほうだ。―――旅行の誘いを、引け目と感じるのならばだが。

(そう考えちゃうこなのよね、無理もないけど)

追撃はいらない。間違いなく、七緒は折れる。

「…………………そうです」

「……………………………………」

「……………………………………………………………」

「バカねぇ…」

乱菊は少しずつ楽しくなってくる。素直な、しかも諸手を挙げて降伏を認める七緒なんて、滅多にあるもんじゃない。

「…」

この機会を生かさずに、どうしてこのこと一緒に過ごせようか。

わざとらしく、腰に手を当てて立ちあがってみたりなんかしてみる。その一瞬の間に目を伏せられたので、広い机越しに向かい合っていた相手の傍によって、そのつむじを見下ろす。

「―――イベントってのは始まるまでも楽しみなの。

アンタと何しようかってすっごい知恵絞ってたあたしの一週間を返してちょうだい。ほんとにもう、ひとこと言えばいいのに」

「…すみません」

小さな声が、ほんの少し明るさを帯びたように思えたのは、欲目だろうか。

(ほんとは、なんかどっかで楽しく喋れたらいいなぁくらいしか考えてなかったけど)

あきれるほどに気を配っていながら、でも自分のペースを守るために優位に立ちたがって、喜んだら負け、だなんて考えてる相手には、このくらいの甘さを垂らしてやったほうがいい。

「この埋め合せはきっちりしてもらうわ。まず何?新酒?今年の?早速飲むわよ」

「…明日に響きますよ」

「大丈夫よ。ちょっとだけ。その間にあんたの言った週末の予定を教えなさい」

「はい」

七緒がまだ顔を上げなくてよかったと、だんだんと抑えの利かなくなる口角を意識しながら、乱菊は考える。

まだ、もうすこし。

「やだちょっと、むくれないでよ。もう責めてないんだから。 ほら、顔あげて」

「…駄目です」

「何言ってるのよ。ほら」

「ちょ、やめてくださ」

頬を挟みこんで、無理に顔を上向かせる―――のは無理なので(下手をすれば鬼道が飛んでくる)、しゃがみこんで顔を突き合わせた。

視線が合った瞬間、盛大に顔がにやけたのは、まぁ許容範囲だろう。―――獲物を捕らえた瞬間とは、斯くも喜ばしい。

「…」

「……」

「やだー七緒かおまっかー」

「煩いですよ!」

「かーわーいー。 なに、断られなくて安心したー?うれしかったのー?」

「違いますよ!」

揶揄を含んだ満面の笑みと、怒気を装った赤面と、二人は奇妙に滑稽な二重の表情の下で笑いあう。

「…あぁもう黙って!!貴方のほうがいつも強引こういう計画を進めて、私を引っ張りまわすじゃないですか!ちょっとくらいやり返したって…それに貴女だってみっともないとこ晒すじゃないでしょう!」

「うん、あんたにはね」

「な」

「あんただからいーの。あんたもあたしの前では可愛くていいの。―それでいいじゃない?」

「……もういいです」

「はいはい」

「飲みましょう、とりあえず」

「のむわよ」

 指先を絡めて、額をぶつけた。笑いの衝動が、互いの身体のうちで反響するのを感じながら、呟いた。

 

『メリークリスマス』


 

 

 

 

 

 

元ネタ