「てめぇは佳い奴だと思う」

 太い指に燻った漬物を挟んで、今日のホストは言った。

「だから言っとく。―――うちの隊長に近づくんなら腫れた惚れたは抜きにしとけ」

 対するこちらは既に卓の上、返事もできずに酒瓶と小鉢とへたり込んでいる。何を言われても、今は、何も、いや、反論しなきゃいけない場はわかっている。それが今だということも。

 てゆーかなんでそんなこと言うんすか、先輩。

 そんなこと言っちゃあ、貴方が隊長に懸想してて、横槍入れられんのがイヤみたいにも聞こえちまいますよ。

 回らない舌で漸う伝えられたのは、そんなトチ狂った言葉ばっかりで。

 けれど、艶のいい頬を歪めて、彼は笑ってくれた。

気のいいこの男の、酒の席での口調に苦いものが混じるのは、酷く珍しい。酒の杯を下ろして、硬い物ばかりを噛むのも。そういえば、話題に上る彼の人も、喋りたくないときには親の敵とばかりにセロリを砕いていた。同席したことなんて、数えるほどしかないけれども。

酒浸しで桃色に染まった視界から、やっとこさ探しだしたのは、手酌で銚子の残りを注いだ大きな手だった。無粋な音を立てる飾りは、きょうは外されている。

―――――女と遊ぶときも、あの飾りは外されるのか

やがて杯を干して言う。

「―――出るか」

 

夜風に当たって、酔いはだいぶ醒めた。否、嘘だ。足取りに迷いが無いのは、左手で巨漢に縋っているからに過ぎない。かなり情けない格好と引換えに、いまだに桃色の脳の襞の間を泳ぐ思考を追いかけていられる。

―――結局この人は砕蜂隊長の何なのか

「…大前田先輩」

 

「あの人の、特別になるのは構わねぇ。俺も、その一人だと思ってる」

後半、霞むように口篭った。全く、今日はこの人の珍しいところばっかり見つけている。

「俺にしか見せない顔、俺にしか聞かせない声、まぁ殆ど怒声と蹴りだけどな、そういうものをいくつか持ってる」

「俺だから、与えられたものは多い」

―――お前には無理だ。

言外の宣告に、一瞬煮立った。

思わず左の腕を振り払い、よろめく足を叱咤して男と向かい合った。

「おめぇを揶揄してるワケじゃねえんだよ。―――おめぇと俺とじゃ、腹回りが違う、そういう違いだ、ただの」

だから何だと言う。危なげな隊主を支えていることへの自負か、安定した足場からの忠告か。反吐が出る。

自分とて、護邸の第二席なのだと、貴方と同列なのだと、ぼろぼろの自信にかろうじて爪だてて身を支える。足元がふらつくのは、揺らぐ自信の表れではない、単なる酔いに過ぎない。

そうやって意地になっている自身が滑稽で、惨めさに顔を覆った。

「―――アンタの、ご忠告なんて、要らねぇ」

絞り出した声は掠れて、あまりの弱々しさに吐きそうになる。

「忠告じゃねぇ、」掛けられた声は、呆れたような響きを伴う。

「エゴだ。副隊長の」

 

「いいか。あの人は求められたことに応える人だ。しかも応え方をろくにしらねぇ。不器用に 愚直に、ていどもねぇ 」

「あの人は気持ちを拒絶するか全部受け止めて同じだけを返すかしかしらねぇんだ。…同じっつっても量じゃねぇ。相手が全身を傾けてきたら全身を傾けて注ぎ返す、そういう授受の繰り返しだ。惚れるってのはそういうことだと思う」

「多分、あの人はもう惚れた相手に対して自分の総てを負わせるようなことはしねぇ、しねぇことを祈ってる。そもそも気を向けても殆どは拒絶するだろうよ。

 ただ、お前には応える可能性がある、それが困るんだ」

言葉は滔々と流れて、桃色の襞の間に隠れてしまう。捕らえられない。クソ、働けよ俺のアタマ。つかちょい待ってくれ、大前田さん―――

「占有しようとするな

 支配しようとするな、無理だ。

 理解なんて望むな

 共感できても、手に負えないことは無視しろ。

 お前が惚れたの何だであの人から何かを引き出そうなんて考えるな。同じだけ応えられないことも、応えてしまうことにも、あの人は苦しむ―――世界の中でお前に与える配分を決めて、それ通りに分配するなんて器用な真似、できねぇんだよ」

いつの間にか俺は道にへたり込んでた。言葉が刺さる。意味を汲むこともできやしねぇのに、俺はそれを取りこぼすまいと必死になってる。それを見下ろして、ため息ひとつ。あぁきっと俺は、あの人のことを想う度にこのため息にどこかを刺される。

「お前が配分を決めろ」

「簡単なことだ。酒場の女を自分に惚れさすように、こころの傾きを測って抑制すればいい。―――あんまし困らせんでくれよ、副隊長」

俺たちを、といった男が余りに羨ましくて、つい口をついた

「それでも、俺はとっくに―――」

皆までは言えなかった。部厚い掌が、浮かされた頭を撫でていく。

「だから頼んでる、修兵」

一人で帰れるな、という声はいつもの高い位置から。

―――当たり前じゃないすか、学生じゃあるまいし

俺の千鳥足と彼の豪快な笑いは、いつもの通りに。

「それでも俺ぁ、お前らが心配だよ、後輩」

そうして俺らは、それぞれの帰路についた。

 

 

 


多分、いぶりがっこを齧る大前田に惚れたんだと思います。私が。