雨幕に隔てられ、紙の燃える匂いは届かない。
紙巻を手にした男は軒下、雫ひとつ無く立つ。自分は傘と、ビニルを叩く水塊の重さに耐えかねているというに。
「…………何を、している」
初夏の雨は重い。髪に肩に落ち、体温を奪うでなくただ不快を残して滑り落ちる。体温と同じになった雫はまるで己の輪郭が崩れていくような感覚を呼び、苛立たせる。
通勤には、自転車を使う。日頃好むそれが、雨天時には憂鬱の種になるのも無理からぬこと。何故その不愉快を目の前の男にぶつけたかなど。もはやどうでもいい。
「ひとを待っている」
何故濡れないのか。
吐いた煙の白は薄く常より余程弱々しい。そうまでして吸いたいかという侮りと、紙の匂いを脱いだ煙の絡みつくような甘さへの驚きと、殆ど同時に感じた。
視覚の無いこの男は、温くなった水に、自分と世界が交じるのを感じないのか。肌に張り付いた布地に。あるいは、私に落ちる雫の水音と路面に落ちる雫の立てる音は確かに聞き分けられるのか。私には、溶け出した自分が駆けて来た軌跡を描くようにすら感じられるのに。
思えば、堪えられなかった。
左手の傘を投げ捨て、右手と東仙に伸ばす。べしょりとはっきりしない音立てて傾いたハンドル。揺らぐ車軸を足で支えて、掴んだ襟を思うさま引いた。
蛍火が消える。
「……消えてしまった」
呟いた声は、胸につけた額から響いて来、此奴はやはり、雨音とは交わらないのだとおもった。
掴んだ襟は、重さを増しているというのに。
夜一を忘れられない、覚えている自分に苛立つ砕蜂と今在るものに揺るがされない東仙。(わかんねぇよ)
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