『ワンパンマン』ハリウッド実写映画化が始動 だそうです。折角なので後々の自分のためにメモ。
いやさすがに
←みたいなことはないと思うけど。さすがにこれで飛ばしor先走り記事ってことはないでしょ。しかし英文記事引っかからないな(4/22 20:00時点)。
一撃映画化
— くわ ᘛ⁐̤ᕐᐷ∃xist (@tamagong_moruss) April 22, 2020
前向きなぼく「PC的にはわりとひどい部類のあの原作をどう料理するんだろう?ワクワク」
後ろ向きなぼく「普通の享受者と自称オタクの分断がまた一つ…」
いつものぼく「『Neuromancer』知ってる?」
うん、まぁ、このツイートが全てなんですけどね…
『ワンパンマン』という漫画のどこを取り上げるのか。強者の孤独(といいつつトロフィーとしての賞賛は獲得)、お約束の安心、実力行使解決の爽快さ、代償の価値、百花繚乱のキャラクター…
私にとってあの漫画をあの漫画たらしめているものは、日本社会のルッキズムや同ネット社会の冷笑主義とマッチョイズム―本義である強さや勇猛さへの賛同ではなく現状追認だけどもー、ミソジニー、”敵”の戦略と思想の欠如、etc.…であり、どれをとっても今のハリウッドが脱却しようと―体裁だけといえんこともないけど―しているものだろう。そこに戻るの???まさか!
―と考えると、なんか見覚えのあるキャラクターがモンスター(villainと呼ぶには色々足りなくない?)をちぎっては投げちぎっては投げする映画になるのかなぁと。まぁね、『Black Panther』だって要旨を書き出すと”資源頼みの第三世界国が血統主義に則って意思決定し(ただしその意思決定は今日的に見て正しい)世界をリードする”という、お前ふざけんな案件になるくらいだし、わんぱんだって随所の思考を洗練すれば映画になるんでしょうね、たぶん。
げんなりするのは、キャストや舞台諸々を発表したときに”今のファン”を自称する集団が何を言うかという点ですな。女性キャラを増やすことや、―white washには何も言わない一方で―アフリカ系演者に抗議する。日本人役に他のアジア系を起用した場合にバッシング…とか。なお吹替え版に2014年のアニメと違う配役云々の争議も起こると思うけど、そこは私の管轄ではないので触れません。
あ、ちなみに女性キャラを増やす・差し替えるのはいいんだけども、ジェノスに関してだけは女性にされたら批判するよ。主人公(とも言い切れないけどもとりあえず)=ヒーロー男性に心酔し好意を押し付けつつ献身する弟子造型を女性で描くのはマジでやめてくれ。危険すぎる。
勿論本音をいえば Oats Studios や MPC の描く覇者を見たいよ。でもストーリーのなかでそこをチョイスする可能性が低いうえに、意思疎通可能だが価値観が違って倫理に反する”エイリアン”をクライマックスの(きめつけ)の敵に据えるか…?あり得なくない???1960年代かよ!藤原帰一もびっくりしちゃう!
だいたいテクノロジーはあるのに最後肉弾戦に走るという意味不明さを、映画でまじめに描けるか?(そこは映画の問題じゃないだろ、漫画では非合理的な趣味で無理やり流しただけで)
ところで『Neuromancer』や『Alien3』のリブート版はディレクターまで決まってたんですけどね。(恨み骨髄)
****吾桑は(これ書いた当時)超絶ダウンしてて『Alien(1作目劇場公開版)』原理主義者で期待しすぎなきらいのある人間です****
ネタバレ配慮なし。
【2017年10月に書いて放置してた感想文に書き足したやつだよ!!】
3. その他映画 Shape of Water-Black Panther
****吾桑は(これ書いた当時)超絶ダウンしてて『Alien(1作目劇場公開版)』原理主義者で期待しすぎなきらいのある人間です****
ネタバレはしてないつもりだけど、個々のシーンに言及あり。
【2017年10月に書いて放置してた感想文に書き足したやつだよ!!】
うーむ…
どう捉えていいかよくわからない。とりあえずもう何回か観にいこう、と。
『PROMETHEUS』は”猛烈に感動したんだけどなぜ感動したのかわからない”って書いてますが、今回はほんとノれなくて…自分の精神状態が心配になるくらい。
いや、綺麗だし面白いですよ。たくさん出てる宇宙SF映画として他にひけをとるとは思わないです……つまりやっぱり期待し過ぎなんじゃね?(自問)
映像は勿論綺麗で、植民船がセイルを広げるところとかほんとう感動した。
ただ、構図にしろ音楽にしろ結構うるさいんですよ今回。ちょっと引っかかるくらい。
うー違うかな、構図自体は文句なしに端正。光の存在感とか。ただ、背景というか装置が驚くほど情報多くて。宇宙船ひとつとっても、Prometheus号は洗練されたきわめて硬質・シンプルな室内装飾。対してCovenant号は機構剥き出しでかつそれに投影・映写式プロンプターが加わる。
これは勿論探査船と殖民船という違いが反映されているんだけど、ただ『Alien』のノストロモのような採掘工場としての雑然とした生活感とは全然違う。物語のあるリアルな背景なんだけど、そこから、『Alien』がそうであったように船内社会構造やメンバーの関係が引き出せる、というわけではなかった。
音も同じく。音というか音楽かな?『2001年宇宙の旅』にインスパイアされた『Alien』は無音(と欺くだけで音はあるんだけど)をうまく使って宇宙の断絶や孤独を演出してた。ひどい音質で流れてぶつ切りされたアイネクライネとか。Goldsmithの不協和音の使い方は神がかってると思うし。
今回音楽が多すぎた。心情表現する系統の使い方で。
音響?は面白かったんだ、宇宙空間でのヘルメットの中だけにこもる音とか、その違いとか。でも”ああ今音を流されてるな”って思うことが多くて…専門的なことはわからないんだけどさ……
あとさーそもそもさーワーグナーは派手でうるせーんだよ。印象的に使いたいのは勿論わかるけどさーあれは物語を重ねる曲じゃなく「俺が!俺が!!」っていってくるタイプの曲なんだよもー。(完璧に好みの問題です)
あとなんていうか…盛り過ぎじゃないですか?監督……?
明確に続編だとわかっている――言い換えれば既にネタバレしてる状態で、人死やそこから引き出される物語の帰結とその悲喜こもごもを描くにあたって駆け足になるのは、当たり前だしむしろ望ましいことなんだけど、でもなぁ…ショッキングな死に様なのに恐怖や嫌悪を感じる暇がないというか…でも妙に説明的なところもあったんだよなぁ…生首映しすぎだとおもったり(4回は多くない?)、シャワーシーンはxenoに狙われてるのが観客にはバレてることもあってルーティンになっちゃってたし…。
ドラマがありエンターテイメントがありしかもxenomorphという強烈で欠くことのできない造形があり……ってやってるうちに監督のcreateについてが遠のいてしまった感じ。
『Alien』-『Prometheus』をシリーズで考えたときに、createには①生殖②生命の起源③メタな視点でそれらと重なる映画の制作、局地的にはxenomorphという恐怖の創造。の3つがぱっと浮かぶ。創造主と被造物の対比を考えると、神と呼ばれるなにか(一面的にはEngineer)と人類、人類とアンドロイド、それからアンドロイドとbigchap。
あとなんかめっっっっちゃMichel Fassbender 推しになってたっていうか…なんだ、いや、三部作にするなら彼を軸にするしかないんだけども、えぇー…ってなりました。
いやいいんだけどさ、対立項で彼が目立つと相対的にxenoの占める量が減っちゃうのよ…
エンターテイメント部分について。
―下衆の勘繰りでR.Scottは『Aliens』がキライだと思ってるんだけども。Lance Henriksen出してくれないし~―『covenant』はちょこちょこ『Aliens』を思わせるシーンがあったのが、ちょっと混乱を招いている(私に)。
なんかね、ほんと不思議なんですよ。
逆パターンなら山ほどあるんだけど、この作品は脚本に瑕疵がないのに全体で見るとなんか不自然という。植民団として綿密な計画を立ててたはずなのに本来の予定を外れて精査もしてない近場の惑星にぱっと目的地変更しちゃうのはなぜか、とか、うまく自然な流れにしてる。逆に失敗シナリオ、筋道が破綻してる映画その他の物語は沢山あって(「何でそこでそんな選択するんだよ不自然だろ」「なぜそのルート使う!アホか?アホなのか?」ってよくツッコミ入るでしょ)、これはそうじゃない。…そうじゃないんだけどさ、やっぱりうまく飲み込めないんだよ。Michel Fassbenderの格闘シーンそんな長く要る?ウェイランドに対する責任だけじゃなくて人類という種への安全保障システム(要は三原則)は組み込んでないの??てゆーか兄弟ちゅーシーンとか要った??? ねぇ要った??なんか無駄に動揺したんですけど!!!!(それは己の問題)
あっあれだけは納得できない、あれは駄目だよ!CGの使い方!!
あんながっつりxenoとかその身体にまとわりつく血液とかやっちゃうと、10年後に”これ古っ!?”ってなるよそれこそ『Aliens』の飛行シーンのように。
そこはもうちょっとリアルさにこだわって欲しかったなぁ。
変態もね。時間短縮のために仕方ないんだけど、孵化の瞬間から綺麗にbigchapじゃないですか、あれはさーやっぱ例に倣って幼虫っぽいシルエットから始めてっいって欲しかったし、形態も人間離れ≒四足獣寄りすぎてた気がする。いや直立してたからヒトのDNA取り込んでるのは間違いないんだけど、”完璧”―ご都合主義という意味で―すぎるよね。
世界中のxenoフリークスはどう思ってんのかなぁ…。『Alien4』みたいな造形の披露は楽しめたんだが。それにMutter博物館みたいなプラスティネーションは面白かった。確かに。
ついでにTV東京の一挙放送について。思わず見てしまったわ。
『Alien』『Aliens』
地上波を見たのなんてもう何十年前?って感じでその後何度もノーカットのDVD見てきたからなんだけど、すごい驚くほどばっさりカット短縮してるなー。
あとね、私が贔屓なのは自覚してるけど、やっぱAのほうがAsよりも見事な、風化してない映画だと思うんだよなぁ。兵のヒロイズムや熱狂の魅力・派手さは認めるし、特殊効果への挑戦とその評価の高さも知ってるんだけど。でもやっぱり技術的には陳腐化してしまう技術を利用しているし、見ると古さを感じる。勿論R.Scottだって散々真似されてるしあの時代でしかありえない冗長さ(私はそれを退屈とは欠片も思わんが)を生んでるんだけど。でもシチュエーションを世界観にまで高めて「この表現以外にありえない」と思わせられる点に関してはAsを凌駕していると思う。キャメロンの描く「未来」は一過性のものだ。
あと思想という点でもやっぱりより革新的なんだよ。
フェミニズムの視点でもう散々記述されてるけど、As-A3は母親・女性の物語だけど、Alienは女性と男性を超えた生殖の恐怖を描ききった(ここprometheusでもっかい女性に戻ってしまった気もするけど)。目的のある有機体と生れ落ちてただあがき生きていく人間の対比もAsよりも鮮烈に描いていた(Asはむしろずるい人間vsに濃縮してしまって)。
とはいえ猛烈に面白いんですよね、Asは派手で。
『Alien3』『Alien: Resurrection』
低評価を貰いがちなこの2作だけど、わりと面白いと思うんだよ。『3』は今見ると古いのを措いても―特に音楽に古さを感じた―陰影の使い方とか映像に関しては、私かなり好きですね。あの溶鉱炉と顔アップのシーンを重ねるのとかCGとか本当古いんだけど、なかなかに劇的で。(それでも[鉄]はねーけどな!!!) デルトロほどではないけど、色調による心象表現をかなり意欲的にやってたんでは?
…ただ地味なのは認めるよ。異論はない。好きだけどな!
4作並べたときに見劣りするのは、もうなんかしょうがなくない?と思わずフィンチャーに同情してしまう。…xeno要素抜いたら観るか?と訊かれたらかなり迷うけど確かに。
やっぱ地味なのが問題だと思う。ドラマに重きを置いてたのは知ってるけど、武器がないのはかなり辛いね。火は使ってるのに。
(ここで改めて"宇宙船"という環境を用いて攻撃手段バリエーションを展開したR.Scottに敬意)
『4』はもうアレです。自分で言うけど贔屓(xenomorphとSigourney)の引き倒しで誉めます!!!!
いやだってしょうがないべ、宇宙船に目新しいとこないし(建築としては面白いけど革新的ではない)軍だけど戦争アクション的な押し出しは弱いしコメディ風味だしサヴァイヴァーが脳筋だし、明らかにSigourney礼賛とXenomorphショーやってるじゃん!!!
あぁ、今気づいたけどXenoに対する姿勢はかなり看板商品的陳列めいた―かつてのシュワルツネッガーとかスタローンとかみたいな―あけっぴろげにみせるやり方に変化してて、これは後のAVPに近い。その分通底していたテーマが―勿論、特に映画において―薄まってる。生殖の問題から異なる有機体(個人×Xenomorph×企業)の相克の問題に天秤が傾いていた。
<これは後にR.ScottがPrometheus-covenantで振り戻す>
ともかく、『4』はxenomorphの遊泳シーンだけでいいのです。水流とシルエット考えたら絶対スピード出ないだろあの泳ぎ方とか、思ってるけど優雅だからいいの好きなの!
ツッコミどころは多い映画ですよ。リプリーの発言とか子宮に何のメリットあんねん(35億人のさけび)とか子宮とnewbornの体積比とか。損壊したらオートで地球に戻るとか。―――なんで?機能不全起こしてるなら大気圏突入せずに救命待った方が生存率上がるんじゃね。
獣四天王。どれがどれとか細かいことはいいんだよ。ワニだけ邪鬼がいないのはあれです、アイギスの盾状態。帯留めにいるよ!
たぶん運慶展周りの情報がいっぱい流れて来たから無意識に溜め込んでて、噴出したんだと思う。
例によって塗ってもいいよ!!!
ネタバレはしないと思うけど現行映画の感想です。お気をつけて!!
は腐った水草だったってね。
『DESCENT :Part2』感想です。愚痴のようなものですので、それがうっとうしく感じられる方はどうぞ戻りください。
THE DESCENT :Part2
監督・編集:John Harris
エグゼクティブ・プロデューサー:Neil Marshall (←「ディセント」監督)
音楽:David Julyan
内容紹介
今世紀最高のホラーと謳われた傑作『ディセント』から3年。待望の続編がついに登場!
(略)「ディセント」監督・ニール・マーシャルが今回は編集に回り、編集のジョン・ハリスを監督に抜擢!
じりじりと心理的に追い詰められる前作の恐怖に加え、今作は洞窟の中で次々と人が襲われるアクションホラーとして、見事にグレードアップ!(略)
【ストーリー】
米アパラチア山脈に面した田舎町。数日前に洞窟探索に向かった女性6人のパーティーが行方不明となり、報道陣が詰め掛けていた。
そこに血まみれの姿で洞窟から1人生還したサラが発見される。
警察は残る5人の行方をサラから聞き出そうとするが、サラの精神状態は不安定で一時的な記憶喪失も引き起こしている。
会話もままならないサラに痺れを切らした刑事は、レスキュー隊の面々と共に洞窟に向かう。錯乱状態のサラを連れて…。
崩落した岩で退路をふさがれ、洞窟を奥へ奥へと進んだ彼らが目にしたのは、変わり果てた行方不明者たちの姿、そして恐るべきモンスターたちだった・・・。
サラが記憶を取り戻した時、彼女には再び地獄が待ち受けていた。
** はじめに言っておきます。割りと期待して視聴したので、点が無駄に辛いんです。きっと。
見なきゃよかったよちきしょー
Neil Marshallの「DESCENT」は自分史上最凶の恐怖映画だった(horror(生理的嫌悪の喚起)を鏤めたterror(危機感や怖さ等の脅迫)の語りの巧さと後味最悪な情念の偏執的な描写と呼び起こされる狂気(鑑賞者自身が狂うかもしれないと思わされる恐怖って最強だろう)!!)のに、
何でこんな大味ステレオタイプC級化物映画になった・・・
脚本が大雑把なんだろうなと。かつ、それを無理やり押し流して疑問を抱かせないだけの魅力がががが・・・ツッコミどころ満載の映画は好きなんですよ「300」とか。 穴はあるのにそれを気づかせなかったり、それが取るに足りないようなものだと思わせる馬力のある映画は、言い換えれば見るに値するわけですよね。
これはそうじゃなかった。
鎮静剤打ったのに何で無理やり引きずり出せんのとか、その設備点検しろーとか連絡手段無しなのになんで後衛とかフォロー部隊がいないのとか、考えてるうちに、そもそも成熟した牡鹿を殺せる奴ら数十匹を相手にして貴女なんで生きて帰れたの、という点に思い至ってしまうわけですよ。物語が成立しなくなっちゃうじゃないか・・・。
そのくせ欲張ってちょっといい話にしようとかして人情エピソードを挟んじゃうから、オチが嘘くさい(落差がありすぎる)。どうせ陰謀説とか近隣の民間信仰とか引っ張ってきて続編つくったりするんでしょうよヽ(`Д´)ノ ウワァァン!!
あと一言。
血が出てればグロいと思ってるんなら、魚河岸でも行ってろ!!
(違うと気づけ、の意味。念のため。←だって差別的だーとか言われると困るから・・・)
要はNeil Marshallが凄過ぎたってことなんでしょうな。1作で終わらせとけばいいと、―本人も含めて―認識してたなかで、興行のために火中の栗を拾わされたのが John Harris氏だった、と。
これから見る人は、過度に期待しませんよう。。。1を2回見たほうが怖いと思うけど。
以上、あまりの怖さに電灯消せなくて寝付けませんを狙ってたのに、つまんなさに腹立てて寝付けません、に陥った愚痴でした。
呟きたいことをちまちま。
落書きは腐るほどしてるけど、いっこテーマが完結するまではup待ち中。
これはいい…!
もともと"すぐ隣にある異郷"には目がない私ですが、"排斥すべき"他者を内包しつつ生きるヨハネスブルクを描き切ったという点でこの映画はまさにドツボ!! 相克と成長、というとあまりに陳腐ですが、ヨハネスブルクが単なる背景ではなく、矛盾を抱え込んでなおまた継続していく有機体として、主人公と表裏一体に描かれてる。
ストーリーテリングとしての完成度の高さに、なおかつSF的な薀蓄も十分に(私のレベルでは)掘り下げられていて、場面場面で惹かれるんですわ。
(評論家的なことは言いたくないんですが↓そう聞こえるかも)
鑑賞者を惹きつけるといえば、視点のもっていき方がすごく上手いんだと思う。視聴するうえでの安定感と、ストーリーやエピソード、表現される感情への共感という2点。
前者は、「ドラマ的な」普通の映画にある鮮明で揺れのない映像と、ドキュメンタリ風のブレ画像や監視カメラのモノクロ画像の混成が、臨場感だけではなく鑑賞者に他者としてのたち位置を示す。
私たちは通常、滑らかに映し出される異形に恐怖は感じても、ツッコミは入れない。なぜなら、「これはクリーチャーがでてくるのが必然であるフィクションだ」というロジックに乗ることでその映画(というかフィクション全般)を愉しむのが、鑑賞者に与えられた鑑賞の方法だから。そのためには、自己がまったく働きかけを行わず、かつ全体を理解+共感しながら進行する、定点が必要(何かでこれ神の視座とか言われてた気がする)。だから映像(与えられる情報)は、ひとつのロジックにそっているし、勿論映像それ自体には統一感をもたせる(逆に複数の色調等を平行させることで2つの視点を表現する ギレルモ・デル・トロみたいなのもある)。それはカメラという主人公に対比する他者を意識させないのが普通だし、それは当然人間の意識のように滑らかで焦点も定まっている。
それを逆転させて、いくつもの映像を混在させたのがこの映画。登場人物とのあいだに、確固たる共通認識は育まれないし、対象物(主人公であれクリーチャーであれ街自体であれ)と対峙する自己を意識せずにはいられない。
(余談 ; 「画面を揺らす」という撮影手法でよく出てくるのが『クローバーフィールド』だけども、残念ながら未視聴。臨場感云々と言われてますな。酔うらしいし)
後者に関して、監督自身が述べていことだけども、主人公に"嫌悪感を感じさせる"ストーリーをあえて挟む。これによって主人公と一体化する、という"フィクションの愉しみ方"のひとつは破綻する。
でも面白いのは、「一体化」が破綻することで主人公の視点を失うけれども、主人公の思考をトレースしない、別の他者の視点を手に入れること。主人公と乖離するというのは、同時に鑑賞者の脳裏に当然あってしかるべき予定調和へのロジックから離れることな訳ですが、それはつまり「予想のつかない事態に巻き込まれる」 という「別の人生を生きる」という、フィクションの別の愉しみ方を極めることになる訳ですわ。多分。
ともかくも、千葉、東京っぽいロスに続くSF都市はヨハネスブルクに決定ですな。魅力的過ぎる(住むというのとはまったく別の次元で)。
『300』
………ぱんつ…………。
無茶しやがって、というのが正直なところですが、意外に面白かった。布のはためき方にしろ殺陣にしろ、絵を描く上では見所が沢山。
そして音楽がTyler Batesだった! 『Doomsday』見て大好きになったのですよ。低音の疾走感とか異種楽器(オケ+アフリカのどこかの民族楽器とか)の組み方がすごく面白い。その代わり雰囲気場面の和音とか旋律はあんまり?で、ダンゴになってもある程度許される現代モノのほうが得意な気がする(ガットギターとか!!)。てことはオケと指揮者次第で化けるのか?ちょっと聴いてみたいけど、映画音楽専門みたいだからないんだろうな。
というか、異種音の組み合わせにしても、本来音量と反響という点で組み合わせ得ないものをスタジオでいじってるから、西洋音楽として成立しえたんだろうし。
(Nevember stepはどうなんだ、といわれたら、とりあえずギターはピアノとおんなじじゃないか、と返します)
( 余談;
結局、生として成立するのは、ホールという反響装置を前提にして、西洋音階を紡ぐものだけなんじゃないだろうか。そもそも"同時に聞こえる"という最低条件をクリアしない可能性があるし、そもそも異種楽器というのはその愉しみ方からして違う。片方に片方を従わせても、bizzareなものの次元を超えないんじゃなかろうか。極論だけれど、オケはそれひとつでホールという箱のなかに世界を構築するものであることに対して(少なくともそういう方向に進化してきたものが今のひとつのかたち)、雅楽なんぞは多分客席(という考え方自体がそもそもない)が和することが愉しみ方としてあると思う(勿論、西洋音楽にも奏者として、という愉しみ方があるし、それは種別に固有のものではない)。畢竟人間は美しさというものを既にもっているリテラシに照らしてしか認識することが出来ないんじゃないか、というのが持論な訳ですが、そんなことはどうでもいい。
ともかくも、「無茶しやがって」と笑いながら見れるのがこの映画のいいところ。その時代まだ鐙がないんじゃないかとか、輜重隊はどこ!?とか。突っ込みどころの多い映画は楽しい。―――"突っ込みどころ=欠陥"になるのは鑑賞者を退屈させる映画だけで、行間を読むのも鑑賞の楽しみのひとつだと思う。少なくとも理屈を曲げて趣味を貫く勢い(と見合う表現力)が大好き。それこそ「時代考証とか人間の身体能力とかのリアリティを無視する」というのがメタなロジックとして走る映画ですわ。素敵。
「プレデターズ」見了った。
・・・「AVP2」に比べりゃ何でも傑作さ。"ヤクザのチャンバラ"が色々台無しにしてる気がするが、気にシナイ。
それよりプレは続編がたくさんあって羨ましい。エイリアンなんてAVP入れて6作。。。駄作でもいい、数見たいんだ。。。(駄作だったら文句言うけどね)
何でみんなプレデターなんか歓迎するんだ。 そんなに好きか、筋肉ダルマ。
という訳で「パンズ・ラビリンス」見てきます。
ギレルモ・デル・トロには期待してるのです。ホラー的な意味で。
愛してやまない Neil Marshall の第1作であります。
DESCENT と DOOMSDAY を見た身からすれば、古いな、と思うとこは多々あるわけです。
映像がスタイリッシュというには古っちいんじゃないのとかアレの動きはもっとhorriebleに――嫌悪を催させる奇異さを強調する方向に――したほうがよかったんじゃね?とか。
でもこの満足感は何だろう。楽しいんですよ、とにかく。
血や傷が、DESCENTでは身体的な嫌悪感を、DOOMSDAYではカタルシスを予感させる刺激剤になっていたのと同様に、ここでも執拗に描かれていて。でもここでの血は、鑑賞者の共感を呼び起こすものではないですよね。割かれた腹から飛び出す腸とか、焼け焦げた肉とか、それらは超現実過ぎて、私たちのなかの血肉にまつわる苦痛のイメージを呼び覚まさない。(個人的に怖いと思うのは、腹圧で収まらなくなった腸ではなく、脛から飛び出した骨です) DESCENTはそういうイメージをすごく大切にしていて、おかげで史上最もといっていいくらい怖い映画になった。(自分の経験に裏付けられた苦痛のイメージ、それは怖いですよ)
たいしてDOOMSDAYは重火器の派手さと同じようにスプラッタを使う。血飛沫は暴力と非現実と敗北の記号。
この映画の血肉は後者寄り・・・かなと。
死体がごろごろ出てくるけども、そして砦の内側に異物がコンタミし始めるという要素はあるんだけれども、DESCENTや出来のいいホラーにあるあの背中にへばりつくような怖さ、このまま見てたら狂うんじゃないかというくらい自分がおびえること、終わった後にトイレに行けないほどに残るもの、はない。きっちりカタルシスがあって完結してるから、とかでなく(だってAlienとか怖いじゃないですか)、そもそも怖くない。
だけれども、それが失敗にならない映画です。アクション・重火器の華やかさは十分でそれにあきさせないテンポのよさとユーモアがある。
但し、さっきのどうしようもない怖さ、極限状態での葛藤、そういうものを期待する人は見ないが吉。以下羅列。
・絶望しない人間を描くっていいね!!
・裏返せば、武器が減っていくとか日が昇りきるまでの焦燥、裏切りとか自分たちの策で仲間を死なせてしまった後悔と厭わしさ、もっと突き詰めれば別の映画が出来る
・アクションが進めば進むほどテンションがあがるだけでなく、楽しくなってくる
・敵の造形と演出はまだまだだったと思う。なんか人がましい。
・音楽は駄目。これだけは本当に欲求不満。昔の定型化されたアメリカ映画みたいなイメージ。
たぶんこの制作者たち、徹頭徹尾まじめにホラーをやるには照れがあったんだろうな。その方向にバカになりきれないというか。で随所にギャグやらブラックユーモアやら混ぜ込んで、それがうまくいったのって初めて見ました。
というわけで、個人的に一番の立役者は Chris Roobson 。よく見たらDOOMSDAYのMillerじゃないですか。 DESCENT と DOOMSDAY の Nora-Jane Noone みたく、こういう共通項を見つけるのも楽しい。
そんなチンケな共通項じゃなく、もっと凄いこと発見しました。
Dog Soldiers のwerewolf = Descent のcrawler(クリーチャー) = Doomsday の Sol = Craig Conwayでした
凄ぇ!
続けて見ると役者さんの怪物としての成長が詳らかになります。うそです。最初っから全力全開です。
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