2月は、嫌いだ。

 

 寒いし空は陰鬱だしそとを歩けば皮膚が乾くしうちに居れば心地の悪い温さが頭の周りにばかり纏わりつく。碌なことがない。
 その癖に仕事はやたらと忙しい。部下の休みが多くて仕事が回らないし、日数も少ない癖に、月次の締めだけは当然という顔をしてやってくる。ほんとうに”締め”がという化け物がいたならば、容赦なく踏み倒してやるものを。否、踏み倒すだけでは収まらない。蹴り倒して踏みにじってひき潰して―――

 

 「誕生日、おめでとうございます」

 唖然として顔を上げれば、屈託ない(ようにつくろってはいるが、緊張と玉砕への虞で強張った)九番の副官がそこにいた。
 「………」
 「…………」
 「……………………………ごばっっ」
 とりあえず無言で卓上の帙を投げた。先月の試算表が盛大に散らばるがまあいい、あとで大前田にでも拾わせれば。
 「―――ちょっ、何ですかいきなり!?」
 問題は目の前のこれだ。
 「――――他の隊を訪ねておいて、あまつさえ隊主を下らぬ時間潰しに付き合わせようとてか。失せろ」
 「くだらなくはないですよ」
 真剣な声音で言う。こういうとき、檜佐木は意外にしつこい。視線に威圧と侮蔑を篭めただけで悔しげに引き下がっていた頃もあったというのに。
 「砕蜂隊長が」
 卓に手をついて顔を覗き込んでくる。―――わたしの間合いに入る度胸は認めていい。
 「生まれたことが喜ばしいと、そう」
 「要らん」
 話は終わりだ。そう続けようとして遮られた。
 目の前に、丁寧に包装された小箱。
 「もう、あなただけのお祝いじゃないんですよ」
 箱のなかほどを締めた細い紐飾りは、藍地に白で清潔感が好ましい。
 「この箱がここに在るように、あなたが有ることの喜びが俺のなかに在る。それを印づけるためなんです」

 

 生硬い声に、思い出すものがある。 
 多分。かつてわたしもそれに似たものを欲しがっていた。 
 祝うことと殉じることは似ている。どちらも対象に対する思いをかたちにすることで、それを肯定する行為だ。わたしのそれは叶わなかったけれど。

 見上げれば、視線を合わせて微笑む。
 要求の中身を理解して、なお拒絶することは容易かったはずなのに、このこども相手にはそれがうまくいかない。理解より先に、共感があるからだ。振り払えないものがそこにあって、それを感受することを、しかも悪くないと思ってしまう。
 「…要らん」
 「そん―――」
 「貴様の誕生日にでも祝えばいいのだろう。腐るものでなければとっておけ」
 檜佐木があごを落として目を見開く。副隊長らしからぬ顔だ。
 …ついでに言っとくと、帙の当たった生え際にコブが出来ていて、貴様マヌケだぞ。
 「俺の誕生日に、隊長のお祝いっすか…」
 どちらも1/365、それは等価で置換可能なはずだ。
 そしてわたしにとって、より意味のある日はどちらかと問われれば、
 「気が向けば、甘味くらいはこちらがもってやる」

 

 他人が傍らにある、そのことに、ほこり、と暖かいものが湧いてくる。
 差し出されたもの、差し出す手。そういうものに応えられればいいと思う。2月の寒さのなかで、暖かいてのひらをありがたいと思うように。
 「―――おおお俺の誕生日8/14っすからね!! 忘れないでくださいよ!」

 

 夏の日差しを思う。
 そのころにも、きっと茹だるような暑さやきつい照返しを鬱陶しいと零していることだろう、自分は。それでも、喜ばしいものがそこにあると思うと、ほんの少し待ち遠しくなった。

 悪くない。
 夏には、大前田や狛村に声をかけて此奴を訪ねよう。何のかのと言いながら、休みの連中も付き合ってくれるだろう。
 今はそれだけでいい。胸を暖かくするこのよろこびだけで。

 

 

 


檜佐木の誕生日に砕蜂のお祝い、それなんてケッコンシキ(〇∀〇)!

 

と思って・・・違うんだよ!! 頭の中にあったときにはもっとこう、会話主体のらぶあんどぽっぷ(死んじまえ) だったんですよ。。。。

 BGM : Koop ft.Yukimi Nagano ’’Summer Sun”