補注

 

タイトル、作中ともに同性愛者に対して"瑕疵""欠け""片輪"散々な呼び方をしていますが、それらに差別の意図はありません。ただ、蔑称を以って語られる関係にあえて踏込む人物と、その"瑕疵"のうつくしさをこそ書きたかったため、用いました。

 

 


 

 平生、自堕落で俗ななりばかりしているから、知らぬひとも多いだろうが、京楽という男はこれで結構に典雅な趣味人である。

 「僕はね、ただ枯れていないだけだよ。花が楽が美しいすばらしいと褒めてまわる坊主が、こと女性に限っては知らん顔してるほうが、余ほど怪しいってもんじゃぁないかな」

 嘯くのは、茶を淹れた七緒に対してだけれども、こちらとしては雑談に費やす暇はない。とはいえ身一つで厄介になっているうえに師匠格の叔父に、素っ気無くことわりをいれる様な、そんな不義理をする作法は身についていない。そういう訳で今日も己が入れた旨くない茶を前に、膝を揃えて耳を傾けて居る。

 「―――どこかに疵があるくらいのほうが、ひとは目をとめるもんだよ」

 七緒が彼れの話を厭うのは、ひとえに多忙のためという訳ではなく、彼の話にどことなく薄気味悪さと反発を覚えるからである。

  (そんなものを美しさと云うのか)

 瑕瑾なくある、それこそが完璧な美しさと呼ぶのではないのか。事実、そう云うものに、七緒は憬れる。

 京楽は、茶を啜る。本人ですら温度と葉の量を誤ったと思うそれを、眉一つ動かさず飲下すのだからたいしたものである。「でも君は、」目線が色好みそうなのも、七緒が落ち着かない心持になる一つの要因であった。

 「そうじゃない」

  不見識を責めるでなく、断絶を悲しむでもない。そう言う目の色を理解できなかった。

 「そろそろ舟形君が来るよ。君もなにか択んでご覧」

 舟形というのは出入りの小道具屋の若息子で、店をひとつところに定めない京楽と洛中の大店との繋ぎをやっている。七緒より五つ許り年上である。老舗の高麗白磁を抱えてくるほどだから、それなりに信頼される商売人なのだろうが、どこか投げやりな風があって七緒は好きになれない。

 

 霧のような篠雨が庭石を叩く霙になる頃、舟形が着いた。

  「やあ雨のなか悪いね」

 堅い挨拶もなく、常のように品をひろげ始めた。今日は茶碗が三点、他に細々とした装飾品の骨董があったのは、七緒もいると云って寄越したのだろうか。なかの一碗に、京楽が気を惹かれたらしい。艶と斑のうすい、かたちばかりがまともな天目である。

  「これは好いかも知れないね」

 縁から底までの厚さが均一で、左右上下ゆがみがない。かたちは美しいのだが、いかんせんその薄さが黒釉の特有の照りと深さを損なっている。このままで京楽の目に適うとは思えなかった。

 「貰おう、これ」

 まただ、と七緒は鳩尾に差込を覚える。どうにも厭な京楽の嗜好。

 碗の縁に両手を添えた京楽の指に力が入る。みしり、と雨音を潜り抜けて聞こえた気がしたが、本当の事だったかどうかわからない。感傷が生んだ幻聴かも知れない。

 「―――」

  薄弱な磁器はあっさりと、磁器と言うよりも陶器に近い砕け方をし、石くれの様な細かな破片が袱紗の上に散った。それは艶も鋭さも無く、余計にみすぼらしく映る。

 「接ぎは義堂さんとこにお願いして」

 「金と銀とのあわせで」

 「―――畏まりまして…」

 舟形の手が恭しく袱紗を引き寄せる。手だけ見れば老人のようである。

 「さて」

 茶を点てよう、段取りが悪くて申し訳ないが、支度してくるから待っててくれるかい。立ち上がって襖に消えた背中に、七緒は溜息を漏らした。真っ当な品に、敢えて疵をつけて吾が手で甦らせて悦ぶ。そう言う嗜好に七緒は馴染めない。美しいものに歪み与えるのは平仄が合わない気がするし、つくり手にも礼を失すると思える。

 「―――お気に召しませぬか」

 雑談を交わすような人がらにも見えなかったので、正直驚いたが、ご機嫌取りなのかも知れない。身体と面だけをこちらに向け、目を伏せた仕草は作法通りだが、生憎手は休めない。袱紗ごと桐箱に納めて、別の布を取り出した。

 「―綺麗じゃ、ありませんもの」

 睫毛を透かして目玉が見える。その乾いた白目が先ほどの碗のようで如何にも安っぽいと思った。

 (厭だ、失礼なことを)

 「疵なく美しいものは、お飽きになられたのでしょう。京楽様は」

 笈と行李は室外においてある。持ち込んだ別の箱を開いて見せた。七緒のためだ。いらぬ、と云えば一寸も迷わずに仕舞いだす。

 「飽きるようなものかしら…」

 美しいものは、世に沢山溢れていように。まだ見たことの無いもの、知らぬものも。

 「美しいと云われるものは、自ずから彼の方のところへ集まってまいります。そうでないものは、羞じて姿を現しません。それを捜し出す事にもご興味が」

 贅沢なのか。傲慢なのか。七緒は掴みきれない。今日の様に接いだ品が気に入らなくて、蔵に仕舞ったままのものも多くある筈である。

 「すでに美しくあるものは、幾らでも手に入れられるのです。―――貴方の様に、若くお綺麗で聡明な女性も」

 世辞はいらぬ、と目を上げたところで、気づいた。到底阿る気色ではない。寧ろ、憎悪か侮蔑の情が篭っている様で、気になって目線で続きを促した。

 「ただ貴女様には疵があります。―――京楽様に惹かれぬでしょう」

 そんな事かと、気抜けする思いである。彼れは身内であり、しかも年齢でも身分の点でも違いすぎる。おまけに気味の悪い趣味を持つと、思って居る。

 「並みのかたであれば、欲しいと思うものなのですよ」

 確かに見合いに遊びに引く手数多で、家を空けることも多い。男振りも悪くないと、聞き知ってはいるが己の様な堅物にあの乱脈ぶりは合う物でないと互いに解っているものを。

 「だからこそ、貴女様をお手元に置かれたのでございましょう」

 「家内では静かに過ごしたいと?」

 「いえ、手に入らぬものを待つも歪んだものを愛でるも、愉しかろうと、そう云うお心持ちでございましょう」

 些か邪推が過ぎると、七緒は鼻白む。

 「疵のないかたは、疵に惹かれるのでしょう。欲しいと思わずとも」

 貴女は真逆だ、続ける。其処だけいやに断定的なのが、頗る勘に触れた。 

 「―――あなたの言い様ですと、私は随分と歪んだ人間ですね」反駁しようと口を開いたところで、襖が開いて件の長躯が現れた。

 「やあ、お待たせ。――七緒ちゃん、欲しいのなかった?」

 子供がましく言い募ろうとしていた気勢を殺がれて、ばつの悪さを覚えた。

 相変わらず、茶の腕前と趣味は見事なものだ、と感心する。その道の師なのだから当然ではあるけれども、七緒は京楽の感性に同調して居る。なのに供応されるたびに、目を覚まされたような心持になるのだから、定めし立派なものだろうと思う。

 舟形との話は、それ切りになった。

 

 

 (あの日、わたしははじめて水屋での片づけを任された。水を落とした碗に触れて、ふと思った筈だ。例えば器を介して京楽の唇に触れることは、厭ではない。いくたりもの人の肌に触れた京楽の話は、少しく厭わしかったのに。血脈の作用かと思い、それで片付かぬものを胸に抱えたまま道具を仕舞って奥へ戻った)

 

 

 「叔父様を嫌いではないけれど、」男女の道と云うものに未だ興味が湧かない。ましてあの疵への嗜好は、永劫共有できそうもない。

 

 

 (そうして、あの宵の出来事だった

 

 

  夜半、目が覚めた。ぼんやりとした頭で、なぜ目覚めたのか漠然と何かを追ってみる。閉めた障子のさらに外、雨戸を隔てた中庭に風はない。
 ほとほと、と、雨戸を明確な拍子を打つ何かがいる。気づいた瞬間、背中の毛穴が一斉に粟立った。咄嗟に懐剣を引き寄せて起き上がる。
 起き上がってはみたものの、だからといって外にいるものの正体を知れるでなし、まして退散するでなし、動悸はおさまらない。
 いっそ起きねばよかったと歯がみしてもはじまらない。
 音がやんだ。
 此方が気づいたことは察せられたらしく、戸の外側、様子を伺う気配がする。
 いずれ息を潜めてみたところで、今更やり過ごすには遅い。家人を呼ばねば、書生が得体の知れぬものを見過ごしたというのでは恥になる。怪しからぬ、と捕らえるか、しかし一人ではないやも知れぬし、意を受けて取り次ぐか、しかし何と声をかける。とりあえず、と硝子障子を開いて廊下に膝を進める。
 戸を叩いて来訪の意を告げるくらいだから、忍ばねばならぬにしてもこちらの同意を要する用事を携えて来たことは間違いない。いな、押し入ることが目的ならば、そう思わしめ入り込むことも有効ではあろうけれども。
 「お嬢様、」
 聞こえた声に覚えがある。「…七緒お嬢様、箱屋の舟形でございます」潜めているせいで抑揚が削りとられているが、厭わしそうな話し方は確かに彼れである。

 「-夜更けに、一体何のご用と云うのです」精一杯の棘を含めてみたつもりだが、通じたものかわからない。
 「京楽様のお言い付けで」
 云い淀んで、先が続かない。怪しいことは怪しいのだが、京楽は屡々酔狂をやる。往々にして害を被るからそれは身に染みて居る。けれどこれがもしその類いの悪ふざけなら、選ぶのは京楽の自室か書斎の筈である。
 板廊下についた膝は冷えるし、埒があかぬし、やはり追い返そうと決めたところで、東の廊下がぎぃ、と鳴った。
 「やあ、ごめんね。僕が呼んだんだよ」
 再び跳び上がった七緒の前に長躯が湧き出した。「舟形君も悪いね、もっと早くに待っている積もりだったんだけど」
 云いながら、錠を外して雨戸を開ける。僅かな隙間から素早く滑り込んできた。その様が蜥蜴かなにかのようで、七緒はぞっとした。
 「履物は持っておいで」
 舟形は膝をついたまま、片手を点いて頭を下げた。強張った顔で、言葉を返そうとしたとき、漸く懐剣を握り締めたままなのに気づいた。
 「部屋に来るかい?目が冴えちゃったろう」
 いいえ、と断れば、労るように肩を叩かれた。―じゃあ暖かくして休むんだよ。

 常夜灯のむこう、二人分の影が重なって消えた。さて蒲団に入ったものの、案の定眠れない。まぶたを閉じれば、厭わし気な声が耳に蘇る。一体彼れは何用で来たのか。
 京楽の自室でなく、対の七緒を訪ねたのは京楽の差し金に違いない。裏山に面した主の部屋よりも、それは柴折戸のある書生部屋のほうが忍び易かろうが、人を迎えに寄越すなり下がらせるなり、京楽の意の儘である。敢えて七緒に目通しさせたかったに違いあるまい。
 なぜ、と三度問う。

 ひとつ予感があった。先ほど叩かれた肩、其処が冷たい。何かがこびりついた様に。強いて考えまいと無理に瞼を閉じた。昼間の舟形の言葉、ついさっきの京楽に随う歩容。思い出すまいと無理に明後日の教練の内容を暗証した。

 


 (そういうことがあったと、懐かしくはなくとも、思い出す。かつてのように腹の底が割れたような動揺と感情-名付けるとすれば嫌悪に裏付けられた拒否反応-は最早ない。自嘲が胸を重くするだけだ)

 


 翌朝、彼れは、京楽に抱かれていた、とそう云った。
 「……なに」
 「呼ばれたので伺いました。いつものように。お相手するために」
 嫌々口を開く、という風情と裏腹に、言葉は滑らかだった。大した出来事ではないと思いたかったのか。露悪趣味じみていて不快だと思ったのは、七緒自身の嫌悪感に因るだろう。

 

 

 (態々自分の目に触れるように―それはつまり、七緒に対象を味わえという誘いだったのだろう。まだ十四のこどもだったのに。―あの男を寄越したことも、それが自分の起居する場所でだったことも、ぜんぶが厭だった)

 

 

 舟形は気だるげに無作法を詫び、ひとつ桐箱を滑らせて寄越した。賭け紐の無い、真新しい無銘の白木のなか、時代物の青磁が入っていた。

 「旦那様から申し付かった物です。昨夜お持ちしました」

 どう云う心算かと、詰め寄ったところで男は答えはせず、そもそも言葉を交わすのも忌わしかった。そうして舟形を退がらせた後、箱ごと夫れを擲った。

 生来、物にあたるような性分ではなし、寧ろその後の片付けに頭を悩ますような人間であったからそうやって物を壊したのは後にも先にもこれ切りである。壊したところで胸のすく思いはせず、欠片が食い込んだように怒りと不快が蟠った。

 容をなくした青磁を改めて見れば、溜りの翠釉の美しい、焼き色の淡い古物であった。欠けなければ、さぞ見事な品であったろうと、なお一層己を恥じた。

 

 

 (その青磁を割ったことを口実に暇申し上げようとしたのに、その後一月近くお出にならなかった)

 

 

 気勢を削がれたその後、漸う顔を合わせた京楽は常の通りの笑い顔で、のらりくらりと七緒の矛をかわし続け、結局詫びすらもさせてもらえなかった。ただ、「夫れは持っていてね」と青磁は膝の前に押し戻された。

 

 

 (それは今もここにある)

 捨てることも繕うことも出来ぬまま、仕舞われていた。接ぐことはできなかった。京楽と同じことを、みとめることが。

 隣では乱菊という女が眠る。

 結局自分も同じ穴の狢だった。京楽が疵のないものに倦んでいたように、強がってばかりの独り善がりな男たちに、七緒は愛するだけの価値を見出せなかった。ただ松本乱菊という女だけが、ずるくて賢くて優しくて、欠けた自分を満たすように愛おしく、そして身体を交わせた。京楽が、そして舟形という歪な男が指摘した通り、自分はそう思っていたほどひとなみではなかったのだ。

 

 それをみとめた今なら歪なあの器たちを賞玩できる。

  円い肩に指を添わせた。