「食べていいよ」
そう言った奴は、少し乾いて、確かに昨日より艶をなくしていた。
そのためにつくられたんだから。
保存用じゃないから、置いとくほど味が落ちるし。
見た目もね。
人差し指ほどの大きさで(断じて身長なんぞという言葉は用いたくない)、どこから出すのか、成人男性らしき声で言い募る。
その姿は、いつのまにか物の少ない砕蜂のキッチンに馴染んでしまっていた。
差出人不明のチョコレートが届いた。
自宅のドアノブに、宅配業者のビニル袋に入れられ無造作にかけてあったそれは、おそらく本来は手渡しであるはずで、 担当者の怠慢に思わず眉間に皺が寄る。
(無用心な)
覗いて見れは無骨な包装紙に包まれた、片手に乗るほどの小函だった。間違っても貴金属や精密機械の梱包ではないから、多少手荒に、安全策を欠いた扱いをしても問題はないのかもしれないと思いつつ、釈然としないものが残る。そういうことではないのだ。基本的に、手抜きだとか怠慢だとか、そういうものが砕蜂は大嫌いである。憎悪しているといってもいい。何がそんなに、と自分でも思うが、発注書の注文個数(億単位)の桁違いも、食品レジの打ち間違いも斉しく砕蜂を苛立たせる。そういうわけで、奥歯を噛み締めながら、長々と間違い電話の相手をしたり、深夜に部下のつくってきた社内報を推敲したりすることになる。
またもやそんなことで貴重な時間を無駄にせねばならないのか、と迷子を背負った騾馬の気分になりながら鍵を片手に袋を掴んだ。
(――――やはりやめておけばよかった)
何をやめておけばよかったのか判然としないながらも、頭を抱えてそう思う。
小箱の中身は、チョコレートだった。そういえばそういう時期だったかと頭の片隅で思うも、これがあるべき場所はここではないという思いを新たにする。
(盆暮れ正月ならまだしも)
外装には伝票も差出状もなかった。わずかな望みをかけて、メッセージカードは無いかと包装を解いた眼に触れたのは、一個のひとがたチョコレートだった。
予定調和的な落胆を胸に、ため息をつく。
人並みに世間の動向には気を使うほうだし、知己に対する貸し借りも多少はあるだろうと自覚しているから、贈り物を受け取るにやぶさかではない。しかし、それは相手あってのことだ。差出人不明の荷物にかかずらわされるのは、御免被りたい。
斯様に手かがりを欠いては、送り主を特定できるものではない。かといって、貰いっ放しというのは砕蜂の性に合わないから、これから包装や配送の経路をたどって贈り主を追うことになるのだ。休みの少ない時期に至極迷惑な話である。
「―――やあ」
声は、まごうかたなく箱のなかからきこえた。
「はじめまして。
チョコの個体名は東仙要だ」
「……」
「残念ながらわたしはメッセージを預けられていない。従ってこれ以上の挨拶は避けておこう。
早速だが、コーヒーなりと用意して召し上がれ。渋味の少ない クリオロ種をベースにしているから、紅茶とも合う。コニャックもあちらのフルーティさを楽しむためにはいいが、出来れば遠慮して頂きたいな。
ピートの香気の強いブラッカダーのようなシングルモルトなら歓迎だ」
「…まて」
「交流を持ったチョコを口にするのに抵抗があるタイプかい?
そうなら今の言葉は忘れてくれ。
何れにせよ、」
「待て」
何から尋ねるべきか、思考をまとめる。少なくとも「チョコレートのおいしい食べ方」についての長口上を受け入れるほどには、砕蜂には時間もないし酔狂さも備わっていない。
そういうチョコレートが売り出されたのは知っていた。掌に乗るほどの大きさで、喋る。メッセージを託してもいいし、束の間の会話を楽しんでもいい。無論、食べられる。
しかし、原理のわからないものを口にできるほど砕蜂は無邪気ではなかったし、流行物に価値を見出すほど無垢でもなかった。何しろものめずらしさから、貴金属に匹敵する値がついているのだ。それに2月のイベント割増が乗るのだから、市価は推して知るべしである。
融ける、劣化すると憮然とのたまわったので、箱ごと、火を絶やしたカウンターキッチンに移した。おかげで砕蜂は外出着のまま、息を白くしてチョコレートに付き合っている。隣室では猫が毛布の上でぬくぬくと寝んでいるというのに、手を擦り足踏みしながら尋問するこちらの身にもなれというものである。
「―――で、貴様の贈り主の名前は」
「知らないな」
回答は短く、鮮やかだった。
「わたしは一個のチョコに過ぎない。わたしが鋳型に入れられて固められた瞬間、わたしは溶液、いわばチョコレートの知識体系から外れた。そこから先は数日という短い生涯のなかで獲得したものしかない」
その短い生涯の中に、差出人の住所氏名という重要情報は含まれていなかったのか。
「『泳げ!たい焼き君』という曲を知っているか」
(……………………何故貴様が昭和の児童唱歌を知っている)
なんと得体の知れないチョコレートか。
「『毎日毎日 僕らは鉄板の 上で焼かれて』というフレーズがある。曲のなかの物語進行の主体は"僕"、すなわち食べられて終わる一個のたい焼きに過ぎないのに"毎日"という表現はおかしく思えるだろう」
「だが、分かたれる前の菓子は、集合記憶ともいうべき大きな集合記憶をもっている。それは末端の体験を蓄積し体系化し保存することが出来る」
「…」
分かたれる前の菓子とは何だ。テンパリングされるチョコレート溶液か。乳脂か。カカオの木か。
(どれが物を言おうとも、違和感しかないが)
「つまり、わたしたちは自分たちについて語ることは得意だが、個体としての情報についてはそうではない」
「では、どこで貴様は包装された?」
東仙は隣県の一都市の名を告げた。ひとがたの直営工場があるとかいう場所だ。小売店ならば手がかりにもなろうものを、一括配送の出元では話にならない。
「―――食べないのなら、暫く蓋を閉めておいてほしいな。君ももう寝む時間だろう。就寝前に頭を悩ますのはよくない」
指図するのか。チョコレートごときが。
思わず絶句した。
「君としては不満もあるだろうが、わたしの一生は短い。できるならば、この暖かい部屋で身をすり減らすのは避けたいところだ」
(………確かに)
チョコレートの一生(いっしょう、と呼ぶべきものなのかはまた一考が必要だろう)など、たかが知れたものだ。本人に意思があるのならば、食われもせずに溶けていくのはさぞ不本意であろう。
疑問をそのままに床に就くことは、決して好ましいことではないがさすがにチョコレート相手に強情を張るわけにも行かない。溶けてしまえば、手がかりすら失われるのだ。
「―――わかった。続きは明日にする」
言ってしまえば、わずかに肩の荷が下りた気になった。
「それはよかった」
滑らかで冷たさを感じさせない上蓋を手に取った。
「…お休み、砕蜂」
閉ざされた箱の中から、ほんの少しくぐもった声が聞こえた。或いはそれは幻聴だったのだろうか。
(わたしはいつ名乗っただろう…?)
更新履歴
あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から