【注意】


・戦争モノ―――――という割りに時代考証しっちゃかめっちゃか

・キャラ崩壊ってかみんな外道

・モブわんさか

・死にネタ?とりあえずいっぱい死ぬ 

・欝い

・読む人によっては、「そこで終わんのかよ!」っていう終わり方してます

 

 何でも許せる方向け 



 同僚との馬鹿騒ぎからいい加減抜け出したのは、夜半をとうに過ぎてからだった。

 

 灯火管制下の執務棟の間、汚れた石畳を踏んで歩く。大きいばかりで人気のない、かつての第八方面民生部駐屯地、それが砕蜂の住処だった。党本部がこの基地をうち棄てたのは一月と少しばかり前。今は、周辺市民の撤退を指揮する砕蜂の部隊がわずかに残るだけだ。それも今日はいない。彼女が席を払った酒宴で、面々は乱痴気騒ぎを繰り広げている。それはきっと朝まで続くのだろう。

 

 ―――それでいい、と思う。

 刹那であろうと構わない。今のうちに、まだしも楽しみがあるのならばそれを享けておけ。

 もはや彼らを取り巻く戦況は最悪の体をなしている。党の幹部たちが海上の敵に背を見せて逃げ出したのも、当然。この町はすぐにも灰になるはずだった。それが明日にしろ半月後にしろ。いずれにせよ年明けを待たずにこの町は消える。

 既に何もなかった。築くべきものも、守るべきものも。

 それでも"敵"はかつての要害の地を見逃す道理はなく、只管蹂躙するためだけのように、火を降らせていく。

抗ずる手段も既になかった。

 わずかに、飛来する爆撃機に砲火を浴びせて。傷ついた同僚か市民を介抱して。状況を整理して報告を打電する。それは、結果を求めるというよりもむしろ、混沌とした死への道程を少しでも日常という秩序だったものにしようとする足掻きに他ならない。

 

 砕蜂は生粋の戦略家であり兵士だった。

 今も分かる。敵機の襲来の頻度と弾薬量から推測される相手の思考と、こちらの物資と人的資材から取りうる最良の抵抗策と。何をもってすれば勝てるか、それには絶対的に何が足りないのか、最も長くこの部隊を生き延びさせるための方策はなにか。何よりも、友軍に勝機が一切ないことを。

 誰よりも正しく自軍の行く末を見通すことができ、しかしそれが部下にとって幸せなことなのか分からない。終わりのない籠城戦に倦み疲れた彼らを知っている。いっそ無軌道な特攻でも選んでいれば、彼らは高揚のうちに死ねたのかもしれない。

 

 石の回廊に響く靴音の速度で思考を手繰る。その靴の先、ごくごくわずかに、光の漏れる扉がある。かつての官舎の一室、それが定めた塒だった。

 

 「―――お帰り」

 湿った空気と、光と、穏やかな声と掌。それが砕蜂を出迎える。

 声の主は、砕蜂が使っている男だった。瞳のない目と、褐色の肌。明らかにこの民族のものではないそれ。民族の同一性を尊ぶこの大陸では、ひとなみに扱われることのない特徴だ。

 

 「待っていたのだけどね、遅いから先に湯を使ってしまったよ」

 

 石鹸のにおいと、湯気そのもののような温みが愛おしかった。そうやって安らぐことを、知ったのはいつだったろうか。

 彼は不思議に砕蜂の足音を聞き分けて、彼女が階段を上りきったタイミングで火を灯す。己には要らぬであろう、と訊けば、でも貴女には見えるから、と返す。そうして、おかえり、と。何をして彼をそうなさしめるのかはわからないが、 常に穏やかな笑みで、砕蜂のために彼女の部屋の扉を開ける。

 彼は、今日もそうした。

 「離れろ、煙のにおいが」

 主たる肴は肉だった。弾薬にも資材にも事欠くなか、まるで冗談のように食糧はふんだんにあった。ここより先に輸送することができないために、それらはただ積み上げられて腐敗していく。

 後方の命令系統が、混乱しているのだ。

 前哨基地が破壊された今、此処は既に前線と言っていい。節制のため、野放図な消費は戒めていたのだか、

 (それも無意味だと)

 覚悟を決めた。極度の緊張は兵たちを消耗させる。それは勿論、弓を矯めるように力を蓄積することに他ならないのだが、今はもう、貯めたエネルギーを爆発させる場所がない。

 ただ、人間らしく死なせてやりたかった。

 (こんなことしか、わたしは知らないが) 

 「煤と脂と、アルコールのにおいがする」

 乾季、この地には珍しく雲が晴れて、覆いの陰とはいえ星空の下に火を囲んで、彼らは少なくともはしゃいでいた。

 

 「でも今日は少しつらかったね。脂汗が」

 部下たちは、愉しげだった。箍がはずれたように。この宴の先に何もないと、彼らとてわかっている。戦況に倦んでいるのは、砕蜂だけではない。 

 (なにも、してやれない)

 「…黙れ。匂いが移ると言ったろう」

 「また浴びればいいもの。―――髪を洗ってあげよう」

 微笑に、炎に照らされた若い顔を思い起こす。そんなものに、己だけは救われている。

 「私も行きたいな。楽しそうだ」

 「ああ」

 

 「一緒にいこう」

 この局面を、どうにかして過ごしたら。

 

 

 

 

 彼は、何ものをも奏でにしてしまえた。

 左手で卓を弾く音と、喉の奥の唸りと。或いは床につけた踵と、巧みに形を変える口唇と。そんなものをいくつか組み合わせて、彼は信じられないほど巧妙に音楽をつくりあげた。戒厳令下、歌舞音曲は徹底的に抑圧され、そしてやがて奏で手は絶えた。誰しもが音楽に餓えていたなか、それは筆舌尽くしがたい美酒となって彼らを酔わせた。

 

 初めてそれを聴いたのは、収監施設の移管のそのさなかだった。

 囚人は既に移送済みだったが、留置場、拘置所を兼ねていたそこには50を下らない人間が拘束されていた。砕蜂の属する軍部とて、内部に裁判機構などあろうはずもない。それでなおそれらを引き継がざるを得なかったのは、行政権・司法権移譲の名のもとに前任者にそれを押し付けられただけだ。抗議しようにも、抗議して誤りを正せるだけの機構など彼らはとうになくしていた。

 

 

 「―――」

 喧騒は、内務系官僚と外務系官僚との軋轢を反映して密やかだ。緊張をはらんだ拒絶的な沈黙と、最低限に潜めた下級書記官の打合せの声。

 そこに、旋律が加わる。

 唐突だった。音源はおそらく口笛かそんなもので、決してそれ以上の楽器でも技巧ではないはずだった。

 滑らかなそれは口笛かそれに準じた音づくりのはずで、決してそれ以上のものではないのに、この響きは何なのだ。正確な音程と心地よい伸びが、

 「また貴様かぁ!東仙!!」

 虚を突かれたような一瞬の静寂の後、尋問室の扉を蹴り開ける音と怒号にそれは遮られた。取り繕うように再び訪れたざわめきのなか、ただ、1フレーズだけが脳裏に繰り返される。それが砕蜂を圧倒した。

 呼び覚まされたのは、幼いころの情景だ。

 磚壁の前、薄暗い家長の部屋のなか、あるいは多くの兄達のあいだで、何かしら曲が奏でられていた。それは愉楽ではなく、神を持たずに書記長の肖像画を掲げる砕蜂たちの、祈りの手段の一つだった。鍵盤も記譜も白打と同じ厳しさで叩き込まれた。体術の披瀝を禁じられた一族の、祭りの際のただひとつの周囲との交歓の手段でもあった。

 曲芸にはしゃぐ子供達のあいだで、ただ独り眦に紅をさし、楽器を奏でた。湿気を吸った鍵盤の重さや、華やかに飾られた祭壇の線香の、沁みる煙までを覚えている。

 けれど、ある冬、党の方針転換と、突然歌舞音曲は禁止された。

 それが、神にも等しい書記長の出奔に起因するものだということも、長じて知ることになる。爾来、どれほど求めようと、音を楽しむことはなかった。一族の命のままに生きる砕蜂にとって、十数年間、音楽は禁忌であり、堕落だった。身のうちに根ざした音の悦びは、生木を裂く苦しさでその心から奪われた。

 

 とらえた音はその禁忌を破った。旋律が、押し殺したはずの飢えを呼び覚ます。

 

 聞き知る旋律ではない。重厚な構成の壮麗さもない。しかしその音は、胸のうちに反響して絶えなかった。渇いた喉に滲みる水に等しく、すでに止んだそれを貪らずにはいられなかった。東仙、という音とともに、擲てない重みが胸に残る。呼び起こされた急激な飢えを感じながら、ただ事務報告を聞き続けた。

 

 

 彼の名に再び見えたのは、身柄処置の決裁時だ。偶然に眺めた丁種―――課役不適合者の処断欄に、その名は記載されていた。

勾留期間の制限など、とうの昔に戦時特例によって撤廃されていたから、収監者の身分があくまで容疑者に過ぎないにも拘らず、砕蜂は彼らを解放することもできなかった。ただ、罪状を明らめ容疑を確定する迄の暫定処置のような体で彼らを拘束している。

 いずれ戒厳令下だ。尋問さえなければ、出国の自由、徴用拒否の自由が無かろうと、彼らと市民の間にたいした差はない―――また、市民の犯罪も砕蜂ら軍部の略式法廷において裁かれる―――。

 囚人は皆、工兵 部隊へ配置され、労務を以て懲役に代える。被疑者たちも、同様に扱われた。

 

 市街地だけに、塹壕掘りや砲台設置こそないものの、土嚢積みや瓦礫処理と、雑務には事欠かない。五体の揃った者はどこであれ歓迎され、そうでない者も各所で後方支援作業に勤しんでいる。そのなかで、丁種は肉体労働をなしえない部類の人間だ。"事故による身体毀損(脚部に顕著)につき"という文言が、拷問による傷の徴だと、勿論砕蜂は知っている。

 負傷の原因となった傷は、疑いなく取調べの過程でつくられたものに違いない。当初、その容貌から敵方の間諜かという疑念を以って彼を捕らえたのは、当時はまだ健在だった憲兵隊だ。

 調書には、「容疑は明白なりと雖も」「非常に頑迷なりて」「未だ一言たりと自白なく」―――要は、自供をとれず証拠も揃えられず、かといって己の誤認をそうと認めることすらできなかったのだ。

 そうして砕蜂は生身の彼に見えることになる。

 

 傷は癒えたとはいえ、脚萎えは工役にむかない。さりとて、間諜と疑われた人間を大勢と接する共同工場へ配置することもできず、苦肉の策として軍の家政隊へ放り込まれた。

 己れを捕らえ苛んだ党行政官や治安軍部に憎悪や反抗心を隠さない囚人が多いなか、彼は驚くほど従順だった。その従順さゆえに彼の裁量権は次第に大きくなり、同時に軍部の拘束機能が失われていったことも手伝って、やがてかれは砕蜂の個人所有物のような体で家政部隊の編成から外れた。そして、今ではまるで勝手に住み着いた猫のような顔をして、砕蜂のいる官舎に寝起きしている。

 初めて砕蜂の下に配置されたとき、彼は不具同然の姿だった。爪はほぼ無く、右足の腱は下手に継がれたせいで歪んでまともに立てぬと云う。

 『その目も、やられたか』

 『これは、生まれつきだよ』

 全く、その身に受けた苦痛を意に介さぬように言った。正確には、その盲いた目蓋すらくじられ傷が顔を覆っていたというに。

 

 すこし、頭が足りないらしかった。

 「世界に平和がもたらされるように」

 冗談にしても、あまりに突拍子もないことを真顔で、或いは、優しい微笑を頬に浮かべて言う。平和、というものが何だったのか、砕蜂には、或いは他の誰にも思い出せないものになりつつあるというのに。

 「正義がなべてとおる世界になればいいね」

 

 

 思い出はいつもあまやかだ。

 

 記憶のなかで彼は、始終歌い、指を鳴らし、拍をとっていた。壊れかけたオルガンを弾くことさえした。

 それは砕蜂が官舎の奥から引き出してきたもので、長年放置されていたらしかった。砕蜂とて鍵盤は扱える。けれど、調律されるでもなくただ捨て置かれたオルガンは手遊びの打鍵を拒んだし、そもそも音を奏でて楽しむような余暇を、砕蜂はもたなかった。

 ただ、彼だけが古びたそれを丹念に調律し、指を踊らせた。背を屈め指を曲げたまま弾くその奏法は、砕蜂には見慣れぬもので、傷を悟らせない流暢さとともに砕蜂の耳を捕らえて離さなかった。

 否、後遺症は確かにあったのかも知れない。

 彼は即興を駆使した、モチーフを執拗に展開するアレンジを好んだ。繊細な旋律の移行よりも、調和とリズムの面白さを打ち出したのは、誰あろう彼自身が運指の遅れをいとうたからではなかったか。

 とまれ、飢えた聴衆はそれを選り好みするでなく、ひたすらに貪った。禁則の撤廃までは眉をひそめていた砕蜂さえその響きに引き込まれた。誰しもが、渇いた喉に水を注ぐように、彼の音楽に耳を傾け、両の手を打ち鳴らし、やがて自ら奏で始めた。

 今では彼の在に依らず、市民は集えば歌い交わす。砲撃にその数を減らしながら、僅かな空隙に、それでも穏やかな楽の音は絶えなかった。

 刹那といえ、そこに笑顔があった、と。砕蜂は思い起こす。

 


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