出された冷たい紅茶は、水色の淡やかなダージリンだった。青臭さがそのまま薄皮を脱いだような、爽やかな香気が心地いい。

「うまいな…」

「今年の春摘みだよ。―――正直なところ、水出しでなければ飲めたものじゃないけれどね」

そうなのか、と曖昧に頷く。季節に紅茶を追い、夜毎に音を奏で他人の無聊を慰める。そういう生活があるのだと、初めて知った。

 

東仙はそのままピアノに手を伸ばす。

確かめるように、Cを。すべての八度音を聞く。次に十度の和音、半音階。完璧な調律。音階練習から始めるところは砕蜂も同じだ。リズムのためのエチュード。スタッカートの後の、開放された余韻が、室内に満ちる。

(この音だ)

生のピアノの音。反響音の少ない防音室でも、楽器全体が共振しているのがわかる。漣のようなそれのなかに沈むのが、砕蜂は好きだ。

 

東仙の指がフレーズを爪弾く。繰り返される。単純な、旋律だ。ただ、その表現力に舌を巻く。

単線的なフレーズに、しかし確かに拍打ちを感じさせるレガートと休止。人の歌声を思わせるようなやわらかな切り替え。そこに、対旋律が加わる。ベースラインのない、右手だけを使った重奏はただ物悲しく聞き手の胸を掻き毟る。―――刹那、激しさが増す。左手のベースは、主旋律を飲み込むように音を大きくした。奔流のようなそれのなかで、主旋律が伸びる。完璧なバランス。断続的に振り注ぐ重い低音と裏打ちした主旋律に、砕蜂は眼前に青い海の広がりを見た。

「――――…」

やがて、曲は僅かな不協和音を残して終わった。反射的に立ち上がる。拍手しようとして、ようやっと気づいた。

(奴にとっては、ただの練習に過ぎない)

「ええと、どうかしたかい?」

優れた演奏に拍手を送るのは当然だが、奏者はそれを望んではいない。しかも、ホールで拍手されるためにつくられた類の曲でもなかったために、ひどく困惑した。

「………………………見事だ」

やっと言えば、褐色の指を下ろして、彼は小さく笑った。

「ありがとう」

「今のは?いつものBGMではないではないか」

普段東仙が爪弾くそれとは明らかに違う。会話の邪魔にならぬよう、平板に美しげに音を重ねたそれではなく、音のひとつひとつに情感と世界を感じさせる音楽。そして

「あれは…誰の曲だ?」

曲の短さ、旋律を極端に強調した音づくり、拍打ち音の使い方、展開、どれをとっても和音と曲の構成を重視するクラシックでは決してない。

東仙は、砕蜂の知らない名前を口にした。

「よくは知らないけれど、メタルにはいるらしいよ。面白いから弾かせてもらってる」

そう言って体を傾けてコンポを操作する。流れ出したそれは、確かに最前東仙が紡いだフレーズだった。伸びる主旋律は低目の女声。音の太いギター、録音のせいか少し割れ気味のベースと激情そのままの表現をするドラムが、寄る辺ない海原の上をしかし敢然と進む鳥の視線を描き出す。ピアノに慣れた耳からすれば、音程にしろ和音のバランスにしろ、処理の甘い部分は多々ある。ただそれが曲を損なうでなく、瑕も含めて、その曲はうつくしい。

「…なるほど」

再現性が高いわけではないが、手法が同じで、何より同じ情動を起こさせる演奏だ、興味深い、という意味のことを言葉すくなに伝える。

 

(おもしろい)

 

 

 

 


書いたのは2012年あたりだろうか。

"STAY"が死ぬほど好きってことしか言ってませんが、それでいいのです(まがお)