もはや顔なじみになった印刷所の社長が夕飯どきにやってくるのも、刷り上ったわずかなそれを手の中で検分するのも、そうして墨一色のそれにそこだけ鮮やかな蒼をのせるのも毎年のことだった。ただ、今年がほかと違うのは、それを一人でするわけじゃないこと。

 

 

暖かい部屋に二人、向かい合って座ってる。あたしの手にはペン。織姫の手には、ハンコ。

「何かいいね、こういうの」

織姫はふうわりと言葉を放って、微笑んだ。このこほど幸せそうに笑う女の子を、あたしは知らない。もとから、言葉を発するたびにやわらかくてあたたかいものをふわふわと溢していたようなこだったけど、この冬、織姫は少し変わった。綺麗な色だけれども鋭い棘のある石を、足元の支えにしているような。周りに優しくて芯が強いのは昔からだけど、痛くて辛くて悲しいものは全部胸の中に仕舞い込んで、自分でも見ないようにしていた。そうして膨らんだものだけを見せていたのに、あるときからそれが溢れだしたような。それは痛いくせにとっても綺麗で、織姫を通してあたしたちはそれを見つめずにはいられない。そうして肝心の織姫が見えなくなってしまうような、そんな硬質なはかなさを持ち始めた。

 ――――あー支離滅裂だわ。

「ごめ。何がいいって?」

惚けたあたしに小首を傾げたまま応える。

「だから、こういうの。毎年、沢山の人に年賀状出すんでしょ?そうやってずっと続いていくのも何かうらやましいし…それにこれ」

 手元の蒼い判を示す。

「不思議だよね、人がつくって機械が増殖させたものなのに、これを押すだけでたつきちゃんって感じがする」

 黒で描かれたごくシンプルな図案に、手書きの挨拶がひとことふたこと。それに、有沢竜貴、というそこだけ鮮やかな蒼の印を押すのが、ここ10年変わらないスタイルだった。

「…数も多いからね。それが楽だから続けてるうちに、それが自分のスタイルになったつーか……」

織姫はたつきが書いて相手に何かを伝えるのをあまり好きでないのを知っている。いつまでも残って、解釈し直され続けるのが嫌なのだという。だからたつきが書くのは、曲解の余地の殆どない完璧な叙述文か、形骸化して意味も亡くしてしまった挨拶文ばかりだ。

だから余計に、たつきが何かを語るのではなくて、ただたつきがそこに立っているような感じのするこの賀状は、たつきらしくて好ましい。

「って、アンタこれ見んの初めてよね?」

「うん」

ペンを投げ出してたつきが唸った。

「アンタに、初めての年賀状を出さないうちから手の内見られて、おまけに手伝わしちゃったわけか、あたしは」

「あたしは嬉しいよ。」

織姫がまた、ふわふわしたものを放った。

「一番最初にたつきちゃんの年賀状見れたじゃない?」

(やっぱね、私はヒメってシアワセの権化だと思うわけよ!!あんなに幸せそうにして、こっちを昇天させるあの笑顔、私を優しく抱擁するあの胸!やっぱ高みに昇るなら二人一緒に―――)

脳裏で語りだしたクラスメイトを張り倒して、でもやっぱり緩んだ頬を隠すために俯いてペンを握りなおした。越智、と書いてその先が続かない。

「最初はさ、イチゴんちの真似だったんだ」

「黒崎君?」

越智、の先はなんと続ければいいのだったか。

「ん。あいつんちってさ、医院の患者さんやら出入りの業者やら、全部におじさんが年賀状出すんだわ」

黒崎医院の院長は対面だけでなく、葉書の上でも饒舌だ。

「やれ娘が可愛いだの、やれ薬飲み合わせんなだのびっしりで、ちっとも年賀状らしくない」

だからせめてと、―その実、息子の手跡を残したかっただけかもしれないが―葉書の一角に干支を象った朱印を添えた。その捺印が一護の役割だった。

「子供ながらにさ、真剣にやってるわけ。さも重要な役らしく」

何かの用事で黒崎宅を覗いたたつきは、幼馴染の『仕事』に眼を奪われた。ぎこちなくも、一点の失敗も許さないという風情で大きな角印を操る、その繰り返しに。親に仕事を任されている、ということの証左のように見えて、居ても立ってもいられなかった。

「自宅に取って返して、もう年賀状の準備なんかとっくに終わってた親にさんざ駄々捏ねた結果の妥協案がこれ」

期待した『お仕事』ではなかったのに、我侭な自分が至極満足していたのは、捺印という行為自体の達成感のためだったのだろう。

「……自分がやった結果が、目の当たりになるもんね」

「今回は自分でやってないけどね」

織姫の指に目を落とすと、いくつもの蒼い点と擦ったような跡が残っていた。

(あたしの、いろ)

とりあえずウェットティッシュ、と腰を上げたところに、またふわり。

「黒崎君も、自分の跡を残してたりするんだろうね……」

ふわり。―ほら。また織姫が見えなくなった。

このこの隣に居ればいいのに。あいつが。この子を透かして見えるものが、黒埼一護という輝かしいヒーローだったら、あたしは同じ名前の幼馴染ごとこの子を抱きしめてあげられるのに。

(アンタを憎みたくなんてないんだけどな)

クソガキ、と口の中で融けた名前は舌を刺した。織姫を傷つける破片のいくつかは、きっとオレンジ色をしている。

多分、黒崎一護という名前は、織姫の体を貫いて傷つけて血を流させて、でもそれが凛と立つこのこを支えている。護って傷つけて護られて、あたしからこの子を遠ざける。

織姫は手を止めて蒼い汚れを眺めている。この色が、あいつの跡だったらよかったと、思わずにいられない。――ここに来い、一護。このこに痛みじゃなくてアンタ自身をあげてよ。

「――あたしが残した跡なのに、たつきちゃんのものっていう証明になるんだね」

印のことだ。ウェットティッシュの箱を手にバカみたいに突っ立てたあたしを振り返って言った。

「そうだね」

織姫はもう一度笑ってくれた。

「じゃあ、この手もたつきちゃんのものってなるのかなぁ」

そういって蒼く(あたしの、いろ)しるしのついた手を伸ばすから。

ウェットティッシュの箱の落ちた音を聞きながら、座ったままの織姫を抱き込まずに入られなかった。

「ハンコ押したら、きっとみんなたつきちゃんのだって分かってくれるよね」

あたしの一部になってしまえばいい。もう見失わずにすむように。その身体にばかり棘が刺さらないように、血を流さずにすむように。

「どっかに落ちてても、迷子になっても、きっとたつきちゃんのところに返してくれるよね」

暖かいいろのかみに、頬をつけた。頤の下を通って肩を抱く腕を、綿毛のような織姫が撫でる。

「無理だよ。みんな持ってちゃって上からハンコ押すよ」

だってこのこはこんなに優しい。

「だから、迷子になるんじゃないよ。」

「うん」

「あたしも見つけるけど」

瓦礫の上に立つこのこを、見失わないでいられるのなら。蒼い輪郭でこのこをつかまえるのに。

「あんまり遠くに行っちゃだめだよ」

――――でもあたしには、祈ることしかできはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 


今みたら2008年に書いたものですね。

 

ウル織でも織たつでも織雨でも一たつでも何でもいいから、この二人幸せになれと思ってた。

(一織はご都合主義過ぎて面白くないので除外)

 

今も思ってます。そしてギャグ含む現世組のお話が読みたいです。