隻鳴虫(仮題)

 

**死体の描写などありますので、苦手な人はお戻りを。

 

 

 

 

 河原では、遺骸も商いものになる。

 

 名乗りを拒んだその小者が差し出したのは、貝殻骨の風鈴。

 盲だった、と葦葉を揺らす風の声で言う。

 三条河原。罪人は馘られ、その遺体は葬ることを許されず、野に晒される。日の日中こそ、役人の目の下、汚穢にまみれた刑場に踏み入るものもないが、夜ともなれば着衣を剥ぐ乞食、屍肉を狙う餓え狗、禁足地を抜けて都を後にしようとする落人、枚挙に暇がない。死人の肉で肥えた烏を肴に酒盛りする非人の群れ、怨みに憾みを重ねて呪を成就させんとする巫人もある。

 「此れをつくったのは虫飼いの伶人でございます」

 すだく虫の音を愉しむ好事家のために鐘児、金琵琶、蟋蟀、莎鶏、紡織娘を養い、売り捌き、或いは籠に入れて門口に立つのを生業とする河原者がいる。猿回しと同じことだが、美称して伶人と云う。とまれ、屍を忌むほど高尚な人種ではない。

 「見目良い罪人を見つけ、たいそう気に入ったそうで。晒し場に通いつめ、処刑の後には、夜露を含んだその肉を虫たちの養いに。皮で灯の笠を。残って膏の抜けました骨はこうして」

 りん、と触れ合った骨が音たてた。硬い音。

 楽器となって、かれの手元に届いた。

 皓いそれに、眼裏に閃く白衣が重なる。凛と立つしなやかな肢体。まさか、そんな偶然があろうはずもなかろうに。

 下らない感傷だ、と思い定めながら、乞われるままに小銭を与えていた。

 

 死人は帰らぬ。当たり前のことだ。

 まして咎有りと已めよとさだめてその命を奪ったものであればなおさら、それが帰るのを望むはおこがましい。

 思えば吾が情けなく、結局あれぎり風鈴は函から出してはいない。

 

 だのに、耳をついて離れない音。

 (最期は、それは立派なものだったそうでございます。項垂れることもなく、命乞いすることもなく、己の過ちも、裁きの無慈悲も口にせず)

 魅せられたという伶人は、助命を願いはしなかったろう。おとこが死んで骸が手に入るのを恍惚として待ったに違いない。虫の糞で汚れたその手で、美しい骸を愛でるのを。

 三日月のした、霧雨のなか、虫の音のうえ、闇をまとい他の屍を踏んで骸のもとへ通った。夜露よりも温い皮膚を切り開き、さらに暖かい、腐敗しつつあるわたを篭に。油紙はなく、滴る腐汁はかれの足跡。夜陰はその煌きに花の幻影を映す。瑞々しさを伴って飛散するその肉の臭いが、すでに烏に抉られ乾きつつある他の屍体とそれとを隔絶する。腐肉は刻んで虫に与えたか。褥の下に埋めたか。鳴く虫は好んで肉を口にはすまいに。

 数夜を経て、くずれ始めた肉を少しずつ削る。肉を食む虫を、狂う目は罪人の生まれ変わりと見る。堪えきれず、軟骨のいくつかを口にした。

 日中には処刑の人だかりをさけて野犬は現れぬが、鳥ばかりは防ぎようもなく、黒檀の膚には無残な嘴痕が残った。伶人は膚を剥ぐ。膏の少ない膚と軟くなった筋肉は作業を容易にした。

 いつしかかれは伶人の目で罪人を見る。

 夜にはともにあって骸を守りながらも、ひなかにはどうすることも出来ず、小さな骨のいくたりかは鳥に持ち去られた。憤りを胸に、まずは半身を持ち帰った。骨同士を蔓紐で結わえ、橋桁に結び付けて流れに晒す。一月繰り返したところで、三条河原に用がなくなった。

 夕には虫篭を手に、屋敷、商家を訪う季節がくる。

 屍肉で養った虫はよく肥えた。声は大きく音色よく、都中で売れた。卵を宿したものばかりを縁に残し、売り払った。代わりに風鈴をつくる。伶人自身も、孕んでいた。

 

 女だったかと、今更に気づく。

 重たい腹に、愛しい骨をのせ綴った。そこで情景は途切れる。

 (伶人はその後、流れを汚した咎で河原者に殺されたともいいます。その腹には、罪人の首が入っていたと噂されました)

 根も葉もない噂だ、とかれは首を振った。処刑した首の行く先は、かれがよく知っている。

 

 伶人の名も、罪人の名も、小者は言いはしなかった。かれも訊ねなかった。

 

 知己の命日―それは刑の執行日だが―風鈴を函から出した。

 盲の罪人、黒檀の膚、その凛とした姿態。符合するのは、偶然に過ぎないはずだ。感傷だと切り捨てた己が、揺らぐ。此れが、かつての知己だと証するものは、何もない。伸びた背筋と、通る声、一点の揺らぎもない所作と、毅然と戦うおとこだった。数年の長きに、ともに剣を振るい、同じ職に就いた。信頼していた。

 ある日、それは裏切られ、やがて罰は下された。その裁定に、彼もかかわった。

 

 (身のうちを抉られるような苦痛。その苦患に、わたしは己の執着をみた)

 

 此れに用いたのは、一対の貝殻骨のうち隻だという。髄を穿ち型に抜き、芯の詰まった緻密質を磨き上げて、出来た円盤を腱糸で繋いで触れ合うように。

 ならば番のもう片方は。骨の残余は。

 狂った伶人が愛でるか、忌まわしいとうち棄てられたか、何も知らぬ童女が耳を悦ばせているのか。

 ひろい都のうち、死人の生前張った知己の網に一つが掛かっただけでも僥倖、もとよりこれが確かにかれの骨という確証もない。珍しくもない石の細工で人骨を擬したやも知れぬ。

 それでも。

 夜毎、件の伶人を探してひとり河原をさまよう。罪人の骨はいづくと求めてやめられはしない。

 

 

 罪人の名を、東仙要、という。

 

 

 


 

かれ、は砕蜂でも狛村でも。

あっ伶人は鈴虫の彼女でお願いします。

 

すいません。

皆川博子風をやってみたかったんです。どうしても。