誰がために物語はなる―悪夢再び

ZONE-00最終回来たねー。

 

うーん予想通りというか…。

 ZONE-00最終回かぁ・・・よかったねぇお疲れ様だったねぇという安堵感。ほんで感謝。もうひたすらに美しい描写でひと(charactor)の情動と業を鑑賞させてもらって本当にありがとうございます、という。”生き延びたことへの言祝ぎ”というのは読者にとってもそう。ひとつの世界に足踏み入れて心動かされるという、それ自体があり難い経験とその快美を、ちゃんと尊んで顕かにしたい。

たしかにあんまり終わった感じはないかも。まずは読み返したい。―いやこれまでも繰り返し読み返したり折に触れていろんなページやエピソードを噛み締めてたわけだけども。大団円だったからこそ、失われたものを拾い集めたいし数えたい。あの世界では日常が続いていくから、それがどうやって築かれたか積み木遊びしたいんだろうな。

感慨終結した

 

絵はねー・・・本当に、あれは漫画のひとつの頂点ではなかろうか。漫画的記号と誇張・戯画と量感や物体への美意識とふぇちがこれ以上ないかたちで見事に組み上げられている。

いややっぱさー漫画でキャラクターの区別がつかないとか覚えられないとかストレスじゃん?それがまったく無いってまじですごいことだと思う。しかもそのすべてが美麗。綺麗な歯とか虹彩の見えない眼とか漫画的に表現し辛い特徴の美しさを、(単に漫画内評価ではなく)絵で適正に表現できる技と人体への理解の深さ。寄せた眉間の緊張や口を歪めたときの肉の隆起やそれでも伝えるべきものをあやまたない(読者として、顔を鑑賞するのではなくて漫画のなかの感情を賞玩できる)こなれ感(?)―適正な取捨選択。

現実離れした漫画髪とか漫画服の謎構造を、質感と重力とその世界の合理性を伴って在り得るかたちで差し出してくるすごさ。

明暗・質感・シルエットのバランスもいいんだよな。”抜き”の絵ですら完成度は決して低くならない。識別しやすさや重点部分との差・キワが絶対に損なわれない。目を奪われるけど見るべき場所を探して目が疲れることがない。そしてカラーになったときにも絶対裏切られないのがさぁ…!金髪金眼白衣とかなのに、ぼやーっとしないんだよ!!!何だその締め色の的確さ!

ああ表情。そうか、(台詞や筋は勿論として)顔だけでなく仕草や陰影でも感情表現するから顔が隠れてもいいんだ。その辺は舞台の演出っぽい。閑話休題。

 

 

お話。徹頭徹尾ひとの生の話だった。

業に捕らわれてるのに、皆ちゃんと生きてて人生を綴ってて眩しい。価値基準も軸も意思も、話のなかでの役割の重さも、それぞれちゃんと別なのにそれぞれが生きていく―物語のなかでは死んでるけども、氏を終着点としてその生がちゃんと描かれててなんかもう…キヨ先生ありがとうって感じである。キャラを使い捨てにしないでくれて。(いや物語のために雑に始末する漫画手法や価値判断は当然にあるべきなんだけども)(zn00の場合、愛でることが楽しくなる登場人物ばかりだからさ)(物語によっては憎悪(大げさに言えば)を抱くことが娯楽になる場合も当然あろう)

 

キャラクターの魅力だよな。意思と情と言葉。変わるものと変わらないものを自分で選び取ってる様が…佳い。自分のあり方を自分で決めて、体や時間や庇護を失いながら、変化しながらも否応無く生きていくし他者と環境を変えていく行為には、眼が奪われる。

 

作者様有難うございます、に尽きる。

…と書きはしたんだけども。

いやぁ、物語としてはBLEACHと同じパターンなんだよな、私の中では。いやあそこまで極端ではないし、低評価でもないんだけども。愛でやすい”キャラ”のために物語が展開していくのと、その世界での摂理がどんどん崩れていく―――遠慮なしに言えばご都合主義が咀嚼に障る。不可逆であるべきものが可逆であったり与えられたパラメータが勝手に書き換わっていく心地悪さ。腕くらい亡くしてもいいじゃん!そのこ死んだはずやろ!!何でそこ勝てた!!!秩序と安寧を掲げつつネポティズムと放任主義という矛盾!!!矛盾というか現実を髣髴とさせるダメさ!!!!!(最後は関係ねぇやろ)

 

で、表題。物語は”キャラ”を賞玩するために、あるいは絵を鑑賞するためにあってもいいし、そのあり方を決められるのは作者しかいないんだよなぁと―――思うんですよ。思うんだけど、納得いかないんだよなぁ、この執着ゆえに(アッこれThis timeと同じ拘泥じゃん)