振り返って拳握って

「腐」という言葉に関して言うべきことは既に言ったつもりなんだけども。ちょっと気になるnoteが出てきたので再考。

*ここでnoteを引いてますが、note利用を推奨する・note運営の数々のやらかしを看過する意図はありません。

この人(かどうかも曖昧)何だったかで信用ならないと思った気もするんだが、この論考は非常に的確であろう。本当にこれだと思うんだよ。

"腐"消費の対象≒男性同性愛と腐消費そのものを混同するのは誤り。誤り・虚偽を基にして運動を進めるのはおかしい。それは差別解消のための最適解なんかではない。

 

「差別反対」「腐女子と呼ばれたくない」「表で男性同性愛妄想を開陳したい」と欲求するのは自由だ(賛同するか否かは別)。でもその主張の正当性の論証と妥当な落とし処を探る議論はfactベースでなければならない、というだけ。同性愛への差別表現、消費する女性への蔑視―他の消費方法に比して男性同性愛の消費(やおい・腐)がより悪質・差別的・卑賎であるとする(女性蔑視由来の)偏見―は撤廃すべきだが、それは「腐という言葉によって男性同性愛が侮辱されてるから」という虚偽*の理由に依ってであってはならない。

*同性愛差別の存在は事実だが、それにおける"腐"の存在はそんなに大きくないだろう。他の社会規範・制度・娯楽ステレオタイプに比してことさらに強調すべきではない。それを強調することは他の責任主体を透明化し有害な表現の撤回要求を鈍らせる。

同性愛差別を解消する ために fiction含め同性愛にまつわる全ての単語から蔑みや悪のニュアンスを排除する、という戦略はあってもいい。しかし"腐がゲイを意味する蔑称だから"という誤理由を利用するなというだけの話(3回目)。

議論の基盤に嘘を持って来たらすべてが台無しでしょうが。

 

本当に何回も繰り返すけど、"腐"表現が女性によって制作・消費されてきた、ゆえに貶められてきたという側面を見落としてはならないんだよ。女性蔑視があるからそのまなざし・まなざす対象までが蔑まれたという面は確かにある。オタク消費社会においても、女性という属性は軽侮の対象であり、―その限られた空間において主体性と自由を謳歌していたように見えたとしても―隔離や自律を要請されてきた。リベラルなwokeは女性をマジョリティ扱いしたがるけど、決して多数であるというだけで一方的に"弱者を踏む"立場にいられたわけではない。

男性が主体となってきた同性への性消費表現で同じことが起きたか?無論同性愛への差別はあった。しかしオタク趣味のなかでカジュアルに"腐"と同様にゲイ表現が括られていたか?より苛烈な差別はあっても、弄っていい集団として玩具にされることとは違う扱いだったのではないか。まして、より一般的な男性集団の娯楽ではなく、ことオタク男性のなかでは男体の性消費(主にショタ)は「トガってる」「ビョーキw」と"過激"な面白い表現として受け取られていたではないか。

 

夢創作との対比

「同じく蔑まれがちな"夢"に比しても"腐"という呼び方の貶めは異常。これは対象への差別の顕在化」という主張もみたが、それは恋愛への対峙の仕方が規範に添ってるか否かのせいではないか?(あと"腐”に先行してではないと思うけども、男性夢主人公とキャラとのBL夢というのも『ホイッスル』の頃からあったというツイートを見た。2000年代初頭くらいと思えばいいのか)

そもそも夢ードリーム小説は恋愛であれそれ以外であれ物語に侵入し自分が主体となって追体験する娯楽でしょう(ggりつつ)。これは"ふつう"の読書体験と本質的には変わらない。特に恋愛においては「女性は(キャラクターに)恋し愛されることが幸福」「創作のなかの恋愛を我がこととして楽しむ」という規範及び常識に全く反しない。

対して、腐は自分を恋愛の土俵の外におき男性同士を掛け合わせて消費するという"女性としては異常(とみなされた)"な行動をとったから「腐ってる」と表された。キャラを愛でるのではなくキャラ同士のを関係を消費する(実際は連綿と続いてきた消費方法だろうが、発信力の問題)そういう規範逸脱が腐を自称さしめたのでは。

"腐"呼びに「キャラを 普通でない 同性愛者に貶めるなんて」という差別の視線が皆無だったとは言わんが……中心にあるのは自嘲と自虐だろう。少なくとも腐が対象へ向けられた貶めであるとは考え難い。

さらに、"腐"と呼ばれる表現のなかに男体を男性同性愛者の視線に仮託して、あるいは男性の女体への消費方法を丸写しして消費する手法があったことも付記しておきたい。猫耳つけて媚びた表情を鑑賞者に向ける単体のキャラ、そういう絵も"腐"表現に含まれていた。

かつての女性ファン像―提供される対象の肖像画に歓声を上げる従属的な信者ではなく、主体となって対象キャラ(場合によっては実在も人物も?)を創作上で屈服させ、膣を使わずに消費する。そこでは女性としてではない消費方法のために男性向け表現・男性のまなざし方使われていた。しかしそれは「男性同性愛」と呼ぶべきものか?"腐"に向けられた侮辱は男性同性愛に向けられたものだといえるか?

女性に向けられた侮辱を全て無視して男性同性愛の被害だとのたまう、それは女性の主体性の(歴史の)簒奪だろう。ふざけんじゃねぇよ。侮辱されても自分の消費方法を貫いて確立してきた先人たちを、その被害の歴史ごと隠匿する暴挙だろう。

 

しつこく書くけど、方法論として「女性を・私たちを貶めるな」の代わりにもっと有効な言葉「男性同性愛者を貶めるな」を使うという方便はまだ理解できるんですよ(卑怯者、という批判は投げるけども)。そっちの方が万人が耳を傾けるから。―――でもそれ嘘じゃん。嘘には嘘って言うよ。

 

再三繰り返すけど、「腐呼びを止めよう」自体はいいんですよ。

ただ嘘言うな、女体持ちが迫害されてきた歴史ごとその主体性―蔑視を受け止めて自称に転換するしたたかさ、開き直り、誇り方―を隠匿するな、とは言っておきたいですな。


腐タグについて

 

今の"腐"にあたる隔離タグは残しておきたい人間です。"腐"の代替語を見つけられていないけども。

上述の通り、女性が主体となって男体を消費してきたその手法と住み分けmannerを惜しんでいるので。

・属性表示のため

  -男性同性愛

  -男性同性愛ないし男性向け表現を経由しての男体の性消費

・原作に準拠した(←程度問題はあれ)作品との区別

勿論この軸のほかに、所謂R-18 R18Gという表現の過激さでの線引きも存在する。それは腐以外のHLGL愛無関係のやつも同じ。

そして属性表示のためのタグにおいてはBL/GL/HLは全て等値であるべき。(実際には百合的ふれあいは男性同士のそれよりも過激とみなされない…みたいなバイアスの差はある)

 

これは主にpixivにおける二次創作のようなものを想定していて、オリジナルBLと呼ばれるその辺の作品には適用されない…といいたいんだけど、でもそもそも「BL」というカテゴリ名は適当か?

例えば妻子あるヘテロ男性が妻子を守るために男性からの性暴力に耐える物語…これはBoy's Loveか???男性同性愛に用いられるファック(make love)を経由していても、それを男性同性’愛’になぞらえるのは僭称じゃないか?いいのか?

閑話休題

 

 


ところで去年(2020年)ちょっと発見したんですけど、ワンパン二次創作界隈ってものすごくアレがソレな抗争があった?

事典見る限り、争点は男女CPモノ(NLなんちゃら)か?

―――あーなるほど…いや先方の見解がちゃんと論述されず"荒らし"に留まってる以上、勝手に当て推量で賛成することなぞありえないけども。やり方は大きく誤ってるし、その情熱の活用法としてはきわめてirrational。

 

 

ただ、めちゃめちゃに我田引水して、”男女CPモノとGLモノ、男性による実質的な「夢」創作に関しては正式名称を冠してもよいとする現在の風潮に抗う”まで絞ると、一考の価値はある。

何回か繰り返している(っけ?)通り、二次創作において"腐"-主に男性同性愛だけをことさらに隔離しようとする風潮は批判するよ。正当性がないもの。

 ①(ヘテロ男性目線で)女体を性消費する

 ②原作から一線を画した独自解釈、(自分の作品としての)大テーマとしての異性愛/同性愛を描く

 ③夢"オリキャラ"を関与させる作品

これらは等しく原作とは別物として扱われるべき。

 

以下理由

二次創作・ファンアートにおいてまず警戒すべきは、原作の利益損失を招くことだろう。「娯楽創作」や芸術一般であれば、その表現が社会に損失を与えないか(良識を破壊する・弱者を毀損するetc.)等の「常識」レベルのものまで含むのだが、それは当然に共有されているものとここでは仮定して。二次に絞ると原作にダメージを与えないことが鉄則になるし、そこを端緒に話を始めるべきであろう。

で、(他の①③との差・特異性はひとまずおいて腐に注目すると)②の中の腐表現は解釈の衝突を招くのよ。そしてその衝突は当然ファン同士のコンフリクト-トラブルとなり原作の資産を毀損する。ゆえに大きな衝突は避けねばならない。これが結論。

―――実際問題としては無論、二次同人を制作/享受する人間にも競合上等の海賊版を歓迎する立場も選択肢としては存在するが、ファン(原作を好きかつ尊重する意思*1がある)という立場と賠償リスクを考慮すれば、それは当然に非とすべき行為になる。是非を論ずる問題にはならない(はずだよな?)。

 

で、具体的にファンが二次創作で生み出しうる損害は何か?

 1.競合/海賊版の販売による機会損失*2(権利者への明確な攻撃)

 2-1.イメージの失墜による商品価値の下落(権利者への不明確な攻撃)

  -2.周辺環境の悪化による消費者離れ

 3.作家ほか制作者人格の感情や名誉毀損(尊重すべきある個人への打撃)、そこから生ずる制作/発表意欲の低下ひいては作品の質・量の減退(作品享受層⊃毀損者への打撃)ならびにそのループ

 

このあたりだろう。

典型的な消費行動選択への悪影響因子は

 1→グッズや公式のものと判別のつきにくい外見の二次創作著作物の販売

 2-1→質の悪いグッズや反社会的・年齢制限の必要な表現を含む二次創作の公共の場所での公開、ゾーニングの拒否

 2-2→2-1の結果で二次創作物を消費しがたくなること、ファン同士の衝突・騒動

 3→作者の嗜好に沿わない表現やファン抗争の蔓延での、作者や制作陣のモチベーション低下・迷走

無論これらは相互に関連付けられているし、その範疇も結果も重なり合っているけど、便宜上この辺で切り分けられる。(というか論ずるためには便宜上切り分けるしかない。切り分け線の位置の適/不適は別で要検証)

 

1は当事者の訴訟、3は販売戦略や制作者の嗜好次第ゆえに、ファンという非制作者・非権利者集団が是非を争論することに意味はない。少なくとも個別のインシデント以外に一般原則に対して是非を断定する道理/資格はない。

 

問題は2-1 -2。

話を恋愛・性愛・性消費関連に絞る(絞って話ができてしまう、娯楽消費社会における恋愛偏重主義もクッソ嫌いなんだけどまぁおいといてですね)。またその話の軸を同人的カテゴライズ(BLGLHL夢)と程度問題(R-18かそれ以外か)におく。

 

作者の志向や現実の制度・規範においてのヘテロ-非へテロの非対称性をおいて、前提レベルの一般的な現代社会倫理としては(対等な個人間での)恋愛・性愛は同性愛異性愛その他で等価値、平等である*3。

ゆえにファンが原作をいかなる性指向で消費・解釈して再構築しようと自由だしそれ自体に志向による正誤はない。ただし、それを表明することによるインパクト・結果は当然社会に厳然として存在するし、故にそこに責任も生じるしモラルからの制限も課せられてしかるべきであろう。

要は表明の問題。何処で・誰が(どういう立場から)・どういう指向/嗜好で・内心からの発露を行ったか、その結果はいかなるもの(社会の側・同調者・身内が)と捉えるべきか。

 

そして前述の軸、というより切り分け方か。2-1と2-2で考えてるのは、①表現自体の危険性の高さによる切り分け。具体的には性的な表現でR-18・暴力や猟奇的表現やR-18G・及び民族/宗教/マイノリティ等への差別偏見をあおるその他の危険な表現での"過激さ"あるいは度合いの高さ。

②表現される指向による切り分け。最後(暫定)が③消費主体による切り分け。

 

①はまぁ程度はともかくコンセンサスはあるじゃろう。「R-18ほか"社会に対して危険性の高い"表現を公共の場所で展開してはいけません」自体に反論する人間はそうそういない。ただ、そのR-18表現か否かの判断基準があまりにヘテロ男性に都合がよくかつあたまわるリテラシーを欠いた議論になりがちなんだけども。

 

②どう解釈し物語を再構築するか、いわゆるBL/GL/HL/夢…という区分。

表現一般でいえば等価、故に①の過激さの度合いさえわきまえれば全ての表現は自由…なんだけども、二次に関しては少し制限が発生する。二次作品が、(基本的には)元の作品を共有している人間が(原則上)原作に損失を与えないかたちで二次作品を楽しむという特性上、他の指向カテゴリの人間に嫌悪感を持たせてはならないのよ。その他の…人間の原作への資本投下意欲を削ぐことになりうるから。

ちょっと単純化するために性指向と恋愛指向(とその設定)は必ず一致する、R-18表現はすでにゾーニングされていてここでは混ざらないものとして考えるよ。

作品やキャラ設定自体に恋愛指向があると、それと異なる指向は指向の”改変(捏造)”ということになり、あるいはBL(の物語)は同じキャラクターのHL恋愛指向(に基いた物語)とバッティングする。さらにモノアモリーが基本原則になっている現代においてはその存在自体が他の否定になる。*

ここまでの原理で実践するとなると、だから互いに住み分けるしかないし、そのために相互了解のあるフラグ立てするべきなんだよ。どれだけ「原作の恋愛指向通り」「このジャンルでは○○が覇権」といっても、恋愛・性愛表現があれば"腐タグ"に相当する"GLや百合タグ""HL男女タグ"をつけるのが、余計な衝突を防ぐという意味で妥当。

 

③(ある点では意図的に)看過されがちなのが、消費主体が誰か、という区分。厳然としてあるのに無視されてきた観点。―――結論言うと、消費主体が女性であるときに過剰なモラルと作者や社会への配慮を要求されてこなかったか?されてきただろう、と。

まぁ私はオタクの歴史(大塚英志が書いてきた言論分析ではなく体感レベルの・近年の・私刑レベルのもの)にはきわめて疎いので判断には慎重にならざるを得ないわけだけれども、それでも現状を眺めてるだけでその非対称の存在を認めないわけにはいかないだろう。ありとあらゆる女体持ちに対するヘテロ男性視点でのobjectification(含sexual)が当然視される一方で、女性視点での男性表象への評価や物語の差解釈・二次創作がいかに軽視蔑視/嫌悪され、それをした女性が"断罪"されるか。それがオタク社会においてだけ解消されているか?否。むしろ「同人女」が蔑称として通用しさえする状態ではないのか。(この辺、女性オタク自身が男性優位社会の価値観をインストールしてるので自虐→開き直りとしてそれを使うというねじれも含めて)

で、ここで語りたいのはむしろ不可視化されてきた男性側の主体性。当たり前すぎて社会において無徴とされている視点。

男性が、女性/男性のcharacterを(性的含む)消費する。

それは加害性と排他性を含む娯楽である。性的客体化がその対象個人及び同じ属性を持つものにとっては加害的・脅威であることは言うまでもなく。その表明とその行動の肯定は対象属性へのjudgeを助長する促進する。また、加害性に比べれば小さな問題だけども、排他性―消費するファンの競合と阻害―という問題もある。あるchracterがR18妄想と結び付けられたとき、非R18妄想を嗜好するファンは妄想を阻害されたり、閲覧領域を制限されたりする。

そういうものは"当然の表現"、自明普遍の欲求に従ったものとして問題にすらされたこなかっただろう、それを直視されたし。

女性が創作物等のキャラをみてそれを消費するのと同じように男性もしているし、しかもそれは自明視していていいほど無害でもあらまほしいものでもない。

ズリネタにする、という意味ではそれは広義の「夢」妄想といってもいい。

その辺もちゃんと名前をつけて隔離タグをつけて欲しいんですけどね、特権者たる男性はこれまでそれが余りにあたりまえのこととしてて提供・享受できていたからわからんのですよ。とてもこまる。

 

 

 

 

先の我田引水"男性同性愛だけが隔離される問題"は2。

 

 

 

 

 

 以下余談。というか上述の"気づき"のきっかけになった事象発見時の日記。

わんぱんって、けっこう戦闘的に様子のおかしい人(慣れない婉曲表現)の住処だった?

…えーまじ?私の観測範囲はちょう平和だったからすごくショックなんですけど……いや割とこき下ろしてはいるけど、"現在の漫画オタクにごく一般的な、知性と社会性の放棄"の蔓延についてであって、≠印は想定外だった。

 

 

(何の用だったか驚きのあまり失念)何かするためにpixiv行ったところ、ワンパン関連のタグが変に細分化してるのを見まして。それ自体はある点では妥当だと思うんだが、特定のカテゴリだけusersタグがない。さらに見ていくと明らかな嫌がらせタグ付けが行われてる。極めつけは百科事典で「荒らし行為により記事削除」と。

思い起こせば、usersタグがやたらと消される事象は見たことあった!私がpixiv使ってたころだから2018年以前?それも活動の一環か?

 

 

*1 いやまぁ、「原作大好き!そして自分が楽しむためなら原作にどんな損失を与えてもかまわない!」というあり方も事実としては存在するけども・・・理念的に許容すべきものじゃないし、他者に損害を与えない努力義務を無視するのは近代社会の個人としては失格行為でしょう。

 

*2 常々言いたかったんだけど、"その二次創作者が利益を得たか否か"は本来原作の利益損失という結果を直接左右しないんですよ原理上は。左右するのは、①原作の客層とその二次創作客層が重なってて、かつ②その客の予算が有限で③その二次創作が原作に充当すべき予算から支払われたもの、という前提と立証が必須になる。まあ確かに必ず有限でありどちらも娯楽教育費ではあるけど、購入者の事情であって二次創作者の利益には厳密には無関係だからね。二次創作者がどれだけ懐痛めて負債負って同人誌作っても、それが結果的に公式作品に損害を与えたと立証されたらその二次創作者は損害賠償請求を受け取る。逆に原作の名を使って莫大な利益を上げてもそれが公式にさらに利益をもたらしてたら公式側はそれを事後的に承認するなり買収するなりして取り込む…―――あー中国の同人でない事例のようにメンツ問題になると違うか……いやでも今は現代日本の問題に絞ってるし日本の企業はもうそんな体力ないやろ…あとナマモノ同人のように個人の尊厳が毀損される場合にはさすがに利益度外視して欲しいものだが…"公式=有名人の名を勝手に用いて莫大な利益をあげる"例にははまらないよな…

よく「利益出しちゃダメ」って言うけど、二次創作者の利益は必ずしも原作の損失ではないし、その逆も然り。「利益目的で原作の名を利用したと認定されると訴訟→賠償リスクが高まる」くらいまで言って初めて真になる。その辺の正確さを置き去りにしてお題目にしてるところが二次創作界の気持ち悪さであるな。

 

*3 無論これは、理念理想としてそうである、というレベルのもので、現実にある創作物の登場人物を異性愛同性愛者として描くことが全て等価(等しく正しい)ということではない。現実はフラットではない。例えば異性愛規範がはびこる現実に対抗して同性愛が啓発的に描かれた作品(ここで想定してるのは『弟の夫』)の同性愛者を異性愛者に"正しく"描くことは差別のある現実への迎合として、批判を必要とするだろう。その二次創作の面白さとはまったく別の次元で。

あと「対等な理知ある個人間」っつってんだろ、PZNはしね。

 

 

*4 

(為念、これは"個々人が他の指向に寛容になり互いに許しあえば皆ハッピー"という自己啓発セミナーは受け付けない。目の前の一人をどう説得するかではなく、マスとしてどうあることが理念として適正ーと整理しうるかーそこに見出しうる原理原則は何かを記述しているのだ。忍耐大好き説教啓蒙主義者は寄ってくんな)(というか私個人としては気狂い一人がその他全員を<censored>して回っても知ったこっちゃないし、その事態をまた記述するだけだ)