ショタは!好きではない!はずだったのに!
なお絵柄を真似するのは前回で力尽きた!!!
いや前回(さざめき◆)はハイライトのない目がツボだったから。
感想あさってたらモロにエロ目線で見てるあれこれが目に入ってゲッてなったんだけどともあれ原作は可愛い。
まぁね、制作側もその辺狙ってキャラデザしてはいるんだろうけどね。何だあの―いかにも低年齢学生めいた上半身に反して―エッチくさいガーター&ソックス。。。
で26話ショック。
いや描くだろ!これはしょうがないだろ!!!
なお配色は出鱈目というかわざと原作とは重ならない(であろう)ものにしてるよ。いや原作―公式と呼ぶべきかーはまだ未着色なんで何ともいえないけどさ、少なくともピンク主体にはするじゃろ。
それはともかくね。裸足でアシンメトリペインティングな辺り、作者はホンッッットわかってるよね!って思いました。
パーティ回でのマコトのドレスが膝丈だったのもさぁ!わかってる!!!
26話ショック続き。
「ピンクの奴はたたきのめし
ブルーの奴には"チェンジブレス"をつけろ」
無理矢理?力ずくで???変身?あの衣装に?つまりこういうこと!?!?!????
―ってなった。いや前からマコトの容のいい頭骨を短髪のまま愛でたいなぁとは思って…て……
17話のトキメキア想像図(1コマ)から
あ、あと2話の❤ダメスーツの影響も。あれかわいいよね。他方、◆のダメスーツはもっと派手というか非現実感あったらよかったのにな…可愛いんだけどね。"オトメチックの歪み"と呪いの差別化のための演出だろうか。閑話休題。
何故魔法の国のイメージが『不思議の国のアリス』なんだろう。『ハリポタ』他と違って版権切れてるから色々便利なのはおいといて。…というところからルイス・キャロルの少女嗜好を結び付けてしまってやはり引っかかるんだよなぁ……
<Salvage logs2002から移動>
少年漫画のくせに中村明日美子みたいな睫毛しやがって!すき!
というパッションが走った(吾桑さんはハイライトのない目が大好物です)(中村明日美子氏とか麻子<phobia>氏とか)
いや触れたものがみんな駄目になる人間なんで連載中作品にはあまり触れないようにしてるし、この漫画もこの漫画でかなり留保条件が必要じゃないかなという危惧はあるんだけど、とにかく絵が可愛くてさぁ。
前作の『サムライうさぎ』も―意図的にかそうでないのかはわからないけども―かなりざんぷの定石に反した価値体系設計をしてると思うんだけども、これもそう。いやあくまで"少年に向けて"でしかないところ、「カワイイ」が奪われた特権であったかのように描写されてる点には読んでてかなりキリキリするんだけど、徹頭徹尾少年として=少女に"なる"ことは一切なく「カワイイ」を肯定している点に救われてる。ていうか絵がかわいい。
―――というところで16話読んで目ん玉飛び出た。これはヤベェ!!!!
全日本ペドを吊るすオタクの会真ん中支部の私が思わず"へんたいのおじさん"になりそうだった。
アツい展開と濃い情念とか白*のワンピース型水着の冒涜感とか「ぎゅう・・・」の可愛さとか、(言葉を失くす)
*不確定
いやまじめな話これはちょっと考えたい作品群だ。福島鉄平作品全般。めっちゃ揺さぶられる。
これは重要な指摘だと思う。創作物が直に犯罪の契機になることは稀だとしても、「未成年者との性愛がすごく甘美でステキなこと」と思わせる力がやたらに強いんだよね。俺も常々ツイートしてきたことではあるが、これは抗いがたい、なかなか強力な作用なんですよ。(続https://t.co/MnHkOhc8qP
— 瀬川深 Segawa Shin (@segawashin) May 17, 2018
抱いた危惧はだいたい↑のスレッドの通り。ただこの漫画にあるのは読者やその傀儡たる作中の成人による「未成年者との性愛」よりもさらに迂遠な、読者による未成年者の賞玩と、self-esteemと両立する或いはその皮を被った少年自身による我が身の(消費者・プレデターへの)提供なんだよね。
それをカートゥン系×低年齢層漫画*みたいな絵とその漫画の王道展開と演出でー掲載してるのは青年誌カテゴリだからそこは比較的には安心―顕彰すること。それは手放しで褒めてていいこと?発表している制作側ではなく消費してる自分が、これでいいのかと襟首つかまれる。
「カワイイ」を少年自身が肯定することは―それが男児である点がこの漫画の新奇な点とされているわけだが―1000000%正しい。
ただその「カワイイ」点が
①女児のものとされてきた要素(越境と規範解体の過程で男女規範を再強化する危惧)
②エンタメ界で消費対象として確立している記号(女児用・露出の多いファッション、短パン、無垢無邪気無害*2素直おバカ、)*3
③(失念、後補予定)"エッチ"なものと紙一重ないしそれを"エッチだ"と感受し表明*4する層が消費していること
それが非常におそろしい。カワイイと愛でている我々は、それを性的消費の文脈で咀嚼し好ましいものとして自分自身の価値観を再強化、そしてエンタメ界における正しい規範として再生産している。その加害性と自分のものではないリスクを無視しながら。
さらに、カワイイの賞玩方法が前項②の通りトゥアンのいう"支配可能なものに対する影響力行使と支配下での幸福の伸張"、な気がする…(だんだん気力が尽きてきた)。ただ作中でそれに対する抵抗は見せているんだよな。ピンクを確保したがるレッドを異常で危険なものとして描いているとことか。ギャグ=笑いの本質とは意外性・異常なものへの反応が根源。
念のため
消費は加害と地続きだよ。少年という記号化された属性を賞玩すること、その記号を現実の人格に適用して評価・観賞することは他者のobjectificationに他ならない。特に性的なことは私秘性が高くしかも個人が自分の身体から切り離しえないもの、また文化的な価値(正負=毀誉褒貶どちらも)を伴い、さらに搾取する者とされる者の非対称(被害損失の大きさ、そもそもの権力勾配)が大きい。
よしんば個人が賞玩を対象に対して表明せずとも、消費して好ましいと感じる記号が共有されその好ましさが社会において価値を持てば、その価値観は該当する属性を苦しめる規範となるし、消費方法は合理化され固定する。搾取は苛烈になりしかもされる側の損失は"当然のこと"として不可視になる。
青年誌掲載という建前がある以上、読者は作中の少年たちにrepresentationされる少年ではなく別の立場からそれらを賞玩する青年~成人であって。(実際はキャラらと同年齢のローティーン読者もいるのだろうけども) そういう人間が"ちょっとエッチな"衣装を自信と誇りとしてまとい奮闘する少年の姿を消費する。読者がすでに持っている"性的なもの=価値があるという娯楽上の価値観と、少年の自己実現・喜び=その物語がよいものとして語る価値が作中で一致する。それは誰にとって都合のいい、飲み込みやすいテーゼだろうか?
勿論『ボクまほ』はここをかなり慎重に扱っていて、パープルが「エッチくさい」格好を恥じつつしかしその装いで戦う自分自身は貶めず(卑下はしまくるけど「エッチくさい」の評を克服する)、ピンクがララ・オトメチックを「水着みたい…恥ずかしい」と明言しつつ着ること辺りはその顕著な例。後者はさらにブルーがそこで無理強いせずその躊躇いを否定しないことが見事。徹頭徹尾、他者の外見への評価を自己肯定につなげていない。他者から見てエッチ/カワイイだから自分にとって良い、ではなく、エッチでも魔法少年たる自己を肯定することが物語のハッピーエンド・好いこととして描かれている。他ではない自分がカワイイと思った自己をみとめることが、作中で肯定されている。
そのうえで、他者からの賞賛は自信につながることを記し、或いは作中人物にむやみな他者への評を避けさせている。ブルーはピンクが自分の姿に衝撃を受けているときにその自己評を否定しないし、ララ・オトメチックへの屈託も同じ。ピンクとブルーはパープルを―明確に罵倒の意思を伴っていた2巻を除いてそれより後では―エッチであるとの言及を避けている。
他者からの賞賛は否定されていないけれど、他者の評や"光の結晶"は基準でしかない。その基準を持って計るのはあくまで自分の誇りや自信であって、それが自尊心の芯。他者の評は良かれ悪しかれ二の次でしかない。ゴールドのエピソードも、制度の不備だけでなく自尊心と理解/共感者の意義についても描かれている。
けれども読者の手に取られた瞬間に、それら制作側の計算と配慮は吹っ飛ぶわけで。読者は上述のカワイイとエッチを容赦なく感受し(これは勿論悪くない)、表明し、そうして社会に(他者たる自分が評した)カワイイ/エッチは高い価値を持つという価値観を再生産する。
引用スレッドの繰り返しになるけれども、「少年が(他者にとって都合のよい)カワイイ状態であることを是とし、しかもその消費されやすい状態および消費され評価されることが少年自身にとっても尊ぶべきことである」という幻想が読者の表明によって共有される。それが危険だしそこに自覚的でいないと誰かを殺すことになるぞと言ってる。
おそらく『ボクまほ』は今後も少年の自尊心を高める物語をつくっていくし多くの子供の助けにもなるかもしれない。(ついでにその過程で魔法少年たることが全一ではなくなっていくと思う*5。)
けれどもそれを読んでニッヤニヤしてる自分は"へんたいのおじさん"に他ならない"わけでですね!!!!首が絞まる!!!!!!!
*「少年漫画」が"大人も読む"1つのジャンルに過ぎなくなった今、あの辺をどう呼べばいいの?「ボンボン」「コロコロ」とかあの辺。
*2 この無害=消費者にとって無害、支配可能という意味の無害。例えば「バカ」は共同体全体の機会損失という点では有害、「飼い主以外には噛み付く犬」は有害だが、それを支配し反抗させない力を持つ/その損失が堪えない強者にとっては「無害」。
*3 現実の児童がまとうことで消費対象になってきたことと、エンタメのなかでそれが甘美なものとして描かれてきたがゆえに観賞対象となっていること、両者は鶏と卵というか相互触発的な事象なんだけどもとりあえず現状"そうである"ことだけに注目。
*4 ヤンジャンアプリ他のコメントを参照のこと。「エッッッッッッッッ」「きのこ(意味深)」みたいなのが鈴なり。
*5 16話の「マコトの全て(略)さざめき◆ブルーであることは…」にちょっと引っかかってる。いや2巻らへんのマコト自身の言葉を受けてのものなのはわかるんだけども。
引用について
引用ツイートアカウントもそのなかのツイートも、私は別にアカウント全体を全肯定できはしないですよ。読むべきとして引いてるのはそのツリーだけなので誤解しないでください。
両者、女体・女児に向かう性的関心やその表明自体は咎めるべきものとは認めないのでは。それが社会にあって"自然"でありそこに乗っかることは否定しないはずですよ。いや現実を直視してーデフォルトの状態をそこにおいて、では実際の加害に結びつけないために制度をどうするかという話なら出来るけども。すでにその視線が搾取構造にのってる、それを見直さないとラディカルな構造改革に結び付けられない…という話はまったくできない。
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