範囲について

「ドスケベ」という語感が好きなんだけども、表では使えないなぁ。という話。あとここは表ではない。

 

 

「エロい」ということば

ネット言語空間では一般的に「エロい」「ドスケベ」はある主体が

・"性欲を喚起する魅力をもつ/力が強い"

の他に

・"性的欲求強く多く備える(ひと)

 /それを表明する(〃)

 /その状態にある(〃)"である

の用法が当たり前になってる状態じゃないすか。転倒というか混同というべきか迷うけども。

客体への評価と主体の状態表明の境界が壊れてる―ってことばとしておかしいんだけども、そもそもその誤りを醸成し許す社会風土があるので仕方がない。なお、個人的な感覚だと「スケベ」は漢字と原義が浮かぶのでその傾向が弱くなる。

 

エロだけではないんだけどエロに顕著に、自他境界のおかしい人間がマジョリティ/社会的人間の祖形になってること。すごくおかしいんだけども。

ヘテロ男性の性欲を喚起するもの=エロ、ヘテロ男性がエロと判断しうる表象=ヘテロ男性への性的誘惑のメッセージというご認識が広く流通してる状態が、窮屈でとてもいや。閑話休題。

 

ともかくそんな転倒があるので「ドスケベ衣装とドスケベ振付」という表現が表でできなくて残念でした、という日記。ここでは誤解する人間もいないし山のような注釈を付けられるので使うけども。

 

上記の衣装と振付。やっばい。

予想以上のかっこよさで欣喜雀躍してたんだけど、それでもこれにもエクスキューズつけとかなきゃだめだなぁって。

 

私がこのパフォーマンスを楽しめて賞賛できるのは、PCDが非東アジア人の集団でありファンも多くは西欧・南北米に偏っているから。たとえば日本やK-popの歌手がこれやってたら留保なしに賞賛はしない(とはいえ実際には、日本の歌手が斯様なパフォーマンスをした場合には、むしろ鑑賞者のほうから「エロ媚」「自分の凸には響く/かない」「歌手としてふさわしい振舞いではない」等の難癖が大量に出るので、そちらにパフォーマーの主体性の観点から反駁しているだろうとは思う)(そもそも見ないから気づかないだろ)。

 

私にとっては、彼らは完璧に客体でありかつ客体になることに傷つかない人たちなんだよ。

批判・問題点から先に挙げる。

・単に聴くための曲にしては過剰に性的な表現がある

 1.全年齢が鑑賞し場合によっては模倣するにふさわしい表現ではない

   ―しょっぱなから卑怯なこと言うよ。私と同じ文化圏での鑑賞者が少ないがゆえに、"抑制を求める、鑑賞者としての責任"を回避できると考えている。いや、私の責任の範囲外であっても支持する者の責任として、場合によっては年齢による隔離を要請すべきとは考えるけどさ。でも、"保護者のものなりの媒体を用いて見に行かなければ見れない"MVであるがゆえに年少者はそれを避けうる、また見た場合にも「他者である」ことの説明のしやすさからその模倣を制止しやすい。彼らは成人であり、別の文化圏にいる、というその点を一瞥で理解させ説明することができる(≠納得させる)。

   この辺は保護者との距離感、歌手と鑑賞者の距離を考えると、私としては十分だと思う次第。

 

 2.女体のobjectification

   単に性的であることから発展した「セクシーさ」の文化において、これは十分に洗練され浮揚したパフォーマンスだと思うよ。凸起てずとも見るに足る技術とセンスがある。

   ここでも彼我の文化の差が響くしね。確かに「female MVはストリッパーMVじゃない」って英語圏での批判が既にあって、それはもっともなんだけども、こと日本においてはこのパフォーマンスは"スタンダードな性欲喚起様式"に則っていない。日本のエロは基本、窃視。素人のセックスを盗み見ることと物語の消費に至上価値がある。だから日本人アイドルが半裸でいることとは別の文脈でこれを鑑賞できる(と期待できる/逆に「自分にはハマらないけどなんかエロい」「規範を逸脱した振付だ」程度の鑑賞しかできないと予測)。マジョリティに食べやすいかたちで食べやすいエロを提供すること、それを正道だと称揚することが問題なのであって、セクシーであること自体はまったく問題ではないからね。

   繰り返すけど、十分に歌手としても振付師としても実績があって"意見が言える"PCDメンバーと違って、日本の歌手(だいたい低年齢じゃん)が vagina thrusts をやったなら基準値を壊したという点で「ちょっと待て」「それを称揚しない」って言うよ。判断力と雇用主&ファンに対して相対的権力の小さい歌手が軒並みその再現を強制されるもの。でもPCDがやったからとそれが日本の、立場の弱い歌手に即波及するとは思えない。(いやどうなんだろう…するのかな……)

 

 3.セクシーさ、という選択それ自体の問題

   Emma Watson の胸と同じ問題ね。経済力があって発言権と自尊心の維持手段をすでに獲得したハイクラスの女性ならば、自らを性的消費する視線に晒してもそれを要請されても、抗しうるしクリティカルに毀損されたりしない。けれども、その"おっぱい"という消費方法(称揚に見せかけたそれ)を知った衆愚が弱者女性にそれを要求ないし侮辱したとき、その人たちは?という。誰がいちばん得する?それを知っても E.W.の選択を支持するべきか?

   これは正直業界全体が行き過ぎてる感じはするなぁ。確かに人間の身体は何よりも魅力的だし表現したくなる(私の場合描きたくなる)ものなのはわかるんだけども。例えば貞淑であれという道徳への反抗や、我等coloredが「我々の体は美しい」という、既存の規範・白人中心主義への抗弁としてなら、その身体を露出することに諸手を挙げて賛成するんだけど。少なくともショービジネスの世界ではそういう文脈はすでに置き去りにされてチキンレースみたいになってるでしょ。cf.セレブのイベント時の露出度

   いや様々なパフォーマンスにおけるそのセクシーさは、既存のジェンダーの解体に役立つ面があるし(それを女/男とラベリングしない限りにおいては)、単純に性的とされる部位の強調や性行為の模倣の動作でももはやないし、同時にプラスサイズ他の多様な体型の映え方・演出方法が登場してるから、決して否定すべき面ばかりではないんだけど。ちょっと露出(装いの面)とセックスのアレゴリー(ダンス他のパフォーマンス)に特化したセクシーさへの一極集中があるんじゃないか?みたいな不安はある。

   Reactに戻ってこれを考えると、ちょっとまずい、とは思う。高い技術と身体能力への驚嘆で頭いっぱいになるけど、これは旧来通りの乳尻ヴァギナ!セクシーなヒネリ、びしょ濡れ…という要素ではあるから。次は新しいものがほしいなぁ…

 

   ちなみにこれ模倣者がその要素だけをピックアップして余計に加速・先鋭化させるパターンで、2/13現在ですでに"セクシー"なコリオグラフィが出てきてる。Jojo Gomezとか―それが優れたパフォーマンスであることは決して否定しないがーSWによる性的情動の喚起を意図した*ダンスとどう違うのか、ごめん正直わからない。チャットレディの宣伝動画ってこんな感じじゃん?(いや私Taylor White くらいしか知らんけど)勿論技術的には全然違うんだけども、歌ってるPCDと前述のJojoの動画との間にある差よりは近いと感じる…

 そこには歌うことの特異さもあって。PCDは歌がメインで見せてるからまだしもなという面はあると思うんだよな。歌に添えるダンスのセクシーさと曲に合わせてくねらせる肉体のセクシーさという主従転倒は、見る者の気構えに影響すると思うんだけど…どうだろう。

 私はJojoの動画は、それを見てるとこを他人に見られたくないなぁ。そのくらいの差はある。 

 

*無論それが「悪」規範上の誤りであるという気はない。性的魅力があることやそうあることを選ぶのを忌避する規範や道徳のほうが誤ってる。ただ、セックスではなく曲や技術を売る際にそこに性的だという付加価値をつけることは、女性が性的な存在であるがために/あるとして貶められる社会においては、慎重に避けるべき。セックス関連商品を売るのであれば―それ自体にも山のような留保が必要なのだが―セクシーであることは正当なのだが、他の商品を売るためにセクシーさを強調することは女性の提供する商品の価値をセクシーさに集約することになる。それはあってはならない。

ゆえにある種の様式化や見るものが驚嘆するような高い技術によって、そのセクシーさを浮揚させなければならない訳でさ。私の感覚では、PCDはそれに成功したが追随者はそうじゃなくない?と。

 

さらに追記

デビュー前メンバーのmetoo告発の件でもちょっと引っ掛かってんだよな…

 

 

 

…あれ、箇条書きで番号まで振ったのに、残りのツッコミが何だったか忘れちゃった。思い出したら書き足します。

 

余談だけどもytbの年齢制限の仕様or基準変わった?Rammstein の Mann Gegen Mannは昔「18禁」の表示が出たはずなんだけど、今ないね。Bück Dich (Liveのアレ)も。―Pussy はもともと投稿されてない。