他人の褌を眺める日々

「腐女子」という言葉について考えること。

 

ショートカット要旨:「腐」という蔑称に憤るのは仕方ないけど、他者楽しむことの加害性に無自覚なのはよくない。しかし「腐」の蔑称としてのよくない部分が"BL"を特に指してるのはおかしい。よって確かにこの呼称は問題がある。

じゃあどうしろって言っても主体が巨大すぎるので対応策はないんだけども。

 

2019年10月加筆修正

 

長いので端折ったけど、このthreadの続きも読んでください。

私がここで意見を述べたい点についての要旨:「腐ってる」「腐女子」という用法・呼称はその当事者及び対象に対して失礼である。

 

①のツイート群にまったく同意できなくて。

私は「他者の関係性に萌えること」を非常に不躾な行為だと思わずにはいられない。

 

ある人間の立場に立ったとき、誰とどんな関係を築くか、って物凄くプライベートなことじゃないか?そこに部外者が踏込んで妄想してそれを消費する。その過程にはそれを公言し拡散することも含まれてる。

他の人格のプライバシーを好き勝手に捏造し娯楽にすること、他の人格の関係(その発する言葉やベッドシーンも含むやん)を好き勝手の妄想し自分の表現として開陳すること、その過程で対象の名を以ってそれを広く同好の士にひろめていること。

有名人やキャラクターの生きる糧である自己のイメージと人としての尊厳である自己決定を、鑑賞者・ファンの集団というフィールドで奪われて制御…どころか関与できない、それは損失であり被害でしょう。

あるいは感覚の面で言えば、例えば無責任な親戚や小学生が「あそこの息子さんといい感じじゃない?早く結婚すればいいのにね」「△は○○のこと好き(根拠なし)なんだからつきあってるも同然ーちゅーしろちゅーしろ」と噂話を楽しむこと、囃し立てることへの素朴な不快感を思い起こせば同意頂けるのではないだろうか?

(有名人や二次創作に利用される作者は、ただ承認を得る、経済的利益を得る、あるいは無頓着、というその点からそれらを看過しているのであってその消費自体が彼らには何ももたらさないことに注意。利益の点から加害性-有益性の相殺は出来るし、対象の感受性という消費者の関知し得ない部分での無効化はあるかもしれないが、それは加害の可能性を抹消するものではない)

 

そういう社会的人間の持つ有害*(さらに後述)さを、自覚している人間が自称するのはあって然るべきだと思う。

加害された―ここで言う加害者=他のプライヴァシーを消費するひとは加害の意図と自覚は無いだろうが、その行為で害を被るのならばその行為を加害と呼んでよかろう。加害が成立するまでに段階があるけれども―人々がその傷を知覚したとき、「でも彼等ファンがやっていることは人間として当たり前の営為だ」という反駁があるだろう。それは「だから傷つくこと若しくは傷を受けたと訴えることのほうが不当」に、容易にジャンプするんですよ。瑕疵の認知に否定があってはならない。それは誤りだ。

意図がなくても足踏まれたら痛くて、ただそれは踏んだ方のステップの重さ(加害行為の程度)にもよるし、踏まれた方の感受性にも強靭さにも依る。けど「踏んでるよ」の声を留めてはならないし、その後どうするかの思考を止めてはならない。どこかに妥協点はある。こと表現に関していえば、それが顕在化さえしなければ無いも同然なんだから。

そのくらいの譲歩とそのための覚悟はあってもいいでしょう、その被害者を尊重しようと考えるならば。「好きだからそのような消費を行う」のだからその人格を尊重しようと思うでしょう?代替不可能なその人格だから「使っている」のであってどうでもいいやつなら代替できる。

 

え?「好きだから」恣に使いたいしその人格ないし権利者にその意思を枉げさせたい?

…人倫と定理から始めなあかんのか。……とはいえ集団の思考はそんなもんだしそれ以前に本気で「啓蒙(わらっちゃう)」を目指すならそういう無頼者の混入を考慮して対策を立てねばならないだけども。これは意見表明であって処方箋じゃないんで。

 

 

ただここでおそらく前提のズレがあって、私は「他者の関係性に~」について上述のような踏込んだイメージを持っているけれども、この方(鮎さん)が想定しているのは、ルーニー・マーラとケイト・ブランシェットの関係や互いに対する振舞いに感激するようなことだと思う。それだってプライヴァシーの消費と地続きなんだけども、それでもそれは人間の自然な反応だといいたいほどに避け得ぬ快感覚なんだよね。(ただその感覚は見ているこちらが感受したものであって、対象の意思はまったく関与していないことを強調しておきたい。何度でも繰り返し)

 

 

ゆえに不用意に「腐」とラベリングされたら不愉快なのは理解できるし、その行為は実際不適当だと思う。

しかも「腐」が、突然他者に投げかけられても容認されるほどカジュアルな単語となってしまうことは、むしろそれを自称する人々の「有害さ」を薄めてしまう。全方位に損しかない。

肉食を最終目的にする動物虐待者が同じ肉食する"普通の"非菜食主義者をいきなり「家畜を飼い殺して食べる人々という意味で自分と同じ肉食者」と呼んだら、それは適当ではない。必要な話し合いの過程をすっ飛ばしているし互いの加害性を糊塗もしてるし、問題の洗い出しがないせいで得るものも無い。

 

 

かつ、そもそも「腐」という言葉には余計なものが付属しすぎている。

②のツイート群に関わることだけども「男同士の関係・セクシュアリティへの執着」という要素が要らないものの筆頭。上述の通り、私がありうべからざる/悪いものとしてラベリングせねばならない(と考えている)ものは他の人格のプライヴァシー消費であって、男同士に限定した執着ではない。*の有害さへの注釈はここね。

 

有害なのは他者への加害であって"男"の持つヘテロイメージを損なうことではない。

 

「腐」という言葉が生まれた経緯から仕方ないんだけど、腐女子による「腐ってる」行為の意味するところが、自己が狭義の自己投影(現実と重なる恋愛関係のロールプレイ)しない恋愛やポルノを楽しむことではなく、「男同士の恋愛や男体ポルノを楽しむ」ことになってしまっている。さらに言えば、それは創作された架空のキャラクターについてのものが原義だったために、今でも「腐」といえば土俵を二次元として議論するものと考えられていたりして、それがまた「生」の人と二次元消費者との議論のかみ合わなさの原因になってたりするし。

本当にやるべきでないことは、自己の妄想で他の尊厳や権利を侵害することであって、それは妄想→表現した人間と対象との間の問題。ところが「腐」は作品を共有することを前提に生まれた言葉だから、公共ないし社会正義―原作とそれについて"勝手に"付与されたヘテロであるという先入観に反する―に対する罪、というニュアンスがある。

「腐」的に楽しむことは、腐者が自分の好みのためにキャラクターの属性を"勝手に""捻じ曲げて"いることだと、当のotkが語っているのを何度も見た。多くは「だから隠れる"べき"」の文脈で。隠れるべきには異論は無いが(上述の通り)、その手の議論では対象ないし権利者への侵害とそれを防ぐ対策論の射程と表現者の責任の範囲がごっちゃごちゃになってるんだよ、だいたい。

 

 ちなみにこの文章も実在俳優から映画のキャラクターから漫画の登場人物まで、あるいは個人の妄想から公共イメージの流布まで、フェーズごっちゃごちゃにして弄ってるけどな!!!

 

加害となりうる行為に自覚的であろう、とは思うけれども、妄想→表現→侵害にいたるまで段階のある行為が、設定という読者の判断のレベルで断罪されることはどうにも頓珍漢だろう。 

 

ついでに。繰返し述べている「加害」は、実は男性中心社会では"当たり前"のものであって、"女性"であれば架空のキャラクターどころか実在の有名人、さらには偶々その肖像を共有された非有名人まで性的に玩弄消費することは、もはや当然過ぎてその行為に名前さえない。

 

それらを包含して「腐」と呼んでくれるのなら―そして加害の自覚からその制止につながるのなら―喜んで蔑称を受け容れて罰の鞭を受けるんだけどね。

 

実際はそうではない。

非ヘテロだけをモチーフにした女性だけが蔑称を受け入れざるを得ず、しかも瑕疵を被る対象人格・キャラクターの権利者への補償*はない。

*補償というのも非常に茫漠とした話なんだが、自己を毀損した行為が罪とまでは至らずとも「ありうべからざるもの」としてカテゴライズされることは、僅かながら救済に近づく上での意味がある。それによって自己の瑕疵を他者によるものとして可視化し、痛みを感じる自分を許すことができる。もっと根底には、自分の違和感と他者の行為を切り離すことに成功する。自己決定を取り戻すって一番はじめはそういうことだろう。

逆に毀損する行為を「自然な営為」「あたりまえのこと」として許さざる終えない状況に人間を追い込むことは、加害にいたる強制なんだけども。まぁ現状架空のキャラクターに関しては、それ自身に人格がないことと"その損害を相殺するだけの経済的利益還元があります(立証なし)"で逃げてるわけですけど、それは相殺であって罪状の抹消、毀損の事実を償却するものではないことには留意しておきたい。

 

なお、論が右往左往するのを承知で、誤解を避けるために留保条件をつけたい。

私は「性描写が過激だから」等の狭義の問題を含むもののみならず、二次創作は最低限「隠れる」べきだと思ってる。ただし私が制御できるのは私の行為だけ。「べき」という言い方をしたのはそれが社会に敷衍できるルールだからではなく、私に制御できないものの要請=必要性であるからに過ぎない。だからいざというとき尻捲って逃げ出せる程度のアレヤコレヤしかやらない。実際全pixivから退避せねばならない羽目(これ我々じゃなくpxvの問題だし)に陥った時に非常に面倒な思いをしたのはアレだけども…もっと簡単に済んでほしかった…

特に、子供がわらわらいるtwitter辺りで「他人の創作物を思うが侭に玩弄していい」ってのを示すのは私には無理。いや子供自身のこと考えたら好き放題した後に鉄槌喰らうみたいな教訓を示すほうがよほど有意義なんでしょうが(笑)それは私の仕事じゃない。いざというとき抗弁できる程度のことしかしたくない。

閑話休題。

 

現状では、他者の人格(実在の、ならびに権利者が他にいるもの)遊ぶ(表出された後のもの)ことに何らかの名をつけるとしたら「腐」しかなかろう…なぁ。別の呼称と射程が必須ではあるんだけども。男性の、特に加害の不可視化とヘテロ絶対視はどうにかしろよと、まぁ思わずにはいられませんな。

なお最初のツイート①の「素質」があることをして蔑称で呼んでいいのかって問題には、「絶対駄目」と言っておきたいですね。それは表出の段階まで待たねばならない。

 

 

 

ところで素朴な疑問なんだが、皆、自分が描いた―例えば人のかたちの―絵に「あっ私のカレがここに!」とか「たつわ」とかコメントされて気持ち悪くないのか*?他人のものを冒さないって倫理観はそういう原初的な感覚から生まれる(かつcommonなものとして成立する)と思うんだが。多分キャラを比較的愛してない(絵>コメント主ではある)私でさえこれらの事例にはウエッってなるんだけど。(いや件のコメ消してないし対処するほどでもないけどさ)

 

 

 *2019年10月追記

これはポルノがヘテロ男性のものであった"常識"があるので齟齬が生じて当然と気づくなど。つまり、男性は女体を消費する"モノ"としてとらえ消費目的で女体エロを描いてきたのでそれを共有した結果「エロい」「勃起した」「嫁がいて嬉しい」という狙い通りの反応を返されることは、自然で良いことなのだ。

他方、女性作家は他者の性的興奮を提示されること自体が脅威足りえるし、私に限って言えば"そこに魅力的な/エロい世界がある"ことを書こうとしてるのであってその世界の外の他人のトキメキやチンコ事情なんぞ知るかボケ自分語りなら手前ぇの家でやれとなるのである。

ちなみに、男性に対する彼是を書いてますけど、ことotkに関しては女性もたいがいだと思ってますよ。その視野に関しては。また、「オタクとして性的なものを楽しむ」ことが、女性オタクにおいては男性のそれを模倣することになっている現状においては。

 

別の問題を引いてくる―しかもその問題の全体像ではなくごく一点だけに注目―けど、↓とかね。

 

"検索よけっていうのは要するに「コナン」で検索して引っかかりさえしなければ何でもいい…"

 

 

これ検索避けに対する認識としておかしいよね。

いや当事者の思考の記述としては正確なのかもしれんが、これは良識に照らしておかしい。当該作品について何も(少なくとも同人符号を)知らない多数に対して、内容への誤認識を起こさせる、或いは「この作品/キャラは権利非所有者が内容を好きに改竄して消費して構わない玩具」というメッセージになる可能性があるものを拡散していいはずがない。その誤認識・改竄に含まれるネタバレや属性(他キャラとの関係)改変は権利者の広報とバッティングする。それは潜在/将来的顧客としての外部多数者を、権利者にとって不利益になる方向へ誘導することだろう。

権利所有者に損害を与えることが何故マトモだと言える?確かに権利者が瑕疵を定義するまで被害は被害足り得ないが、少なくとも他の意見に対する反論として「内輪以外の損害は私達の知ったこっちゃないです!」は大義として掲げていいものじゃない。本音がどうであれ。

こういうローカルルール(内輪でしかそのメリットを享受できない)を世界に対して堂々と掲げる点、いかにもよくあるオタク仕草で、いやもう呆然とするわ。私もその一人として。

 

うん、でもそれ「我等の性欲求をいつでもどこでも肯定せよ」ってガンガン掲げる男性otkと何の相違もないよね………やっぱり男女違いないわ。「この点では女性otkのほうが酷い」とはいえない。ごめん。両方ひどいね!