作品投稿サイト移動のお知らせです。
この度の報道を受けてpixivへの作品投稿を停止し、DeviantArtの利用を開始しました。今までご覧くださっていた皆様、ありがとうございました。
引き続きDAにてお付き合い頂ければ幸いです。
↓以下、補足と愚痴など
報道の詳細はlink貼りません。要はトップ永田なにがしが未成年(当時)に対して性的虐待をはたらいたと。
ユーザーとしては首の挿げ替え(と願わくは組織としての体制刷新)以外望むことはないんですけど。あと私がやれるのは広告収入断ちとコンテンツ提供の停止か。人が呼べる作品なんてないのですごーく微力なんですけど、まぁ抗議しないってのはないよなぁと。
「同人はセンシティブなんだー!」なんぞというつもりはまったくないんですが、ことオタ世界に目を当ててみれば性的消費、特に未成年者に対するoffensive(あなたの身体は玩弄物なんだ、というメッセージ自体がoffenceなんです。社会的合意が完全構築されていないけど)な娯楽作品の生産と価値観涵養は甚だしい。そしてそれはもちろん解消すべき問題なわけで。
ただ我々オタクが"それを楽しみつつ"問題に正対せずにすむ唯一の逃げ道が「妄想と現実は別。現実の性犯罪に対してはそれを容認しない」というエクスキューズなんです。
…その逃げ道を自分で塞ぐようなことが何故できようか。
できるわけがないので容認以外の行動に出るしかありませんね。
抗議行動の基本は不買運動です。
クレームつけたっていいけど、末端から中央まで距離があるし件数重ねないと意味ないという意味では一人じゃできないですからね。。。
そんなわけで(投稿)更新停止します。
作品は前述の通り DeviantArtとここ(自サイト)、あとエロに関してはPictBLandなんかを活用しつつお絵描き自体は続けていきますので。
―――アカウント削除じゃないのか、と我ながら突っ込みたいんですけど―――削除したいけど、pixivはともかく他ユーザーの作品にはすごい未練があるんです。数百件の私のブックマーク…宝の山だからねアレ。あれをどこかに移すなり何なりしないことには身動きとれません。どうしよう。pinterestとかいっそローカル保存とかでpixivに依存しないように何とかしときゃよかった。でも定期的に「いいね!ありがとう!あなたの作品素敵だよ」って何らかの敬意を送りたかったんですよ。単に自分のものにしたい、ってだけじゃなくて。
(その辺頼むよ昨今のSNS系サービス開発者さんよ)
ですので、投稿サイトやらお絵かきサービスやらで何かお勧めがあればどうかお知らせ頂ければ幸いです。(閲覧側の立場で)
特に小説はまとめて読める場所ってかなり限られてるので。pxvは古いのが埋もれつつも残ってるってのがかなり有り難かったんだけども。
念のため追記しますが、これは個人的決意と行動であり、これに反する行動をとるユーザーを矯正だの啓蒙だの試みる気は一切ありません。支持はしない、それだけです。
そもそもオタクにそんな期待できるものかは。
なお、今(今まさにこの書いてる瞬間)でまだまだ引越し途中です。意外と作品多いな!まだワンパン手もつけてないでござるよ。だからpxvのほうにもお知らせ挟めないという事情もありつつ。
以下、個人的所感つまり愚痴。
あ~もー💩。
本当最低。ガバナンス貧弱な零細企業&倫理観ゴミな業界がかけ合わさると相乗効果がやばいな!この規模のSNSトップが告発されて炎上にさえ至らないってかなりすごいよね!(誉めてない)
まぁユーザー側は例によって見なかったことにするんじゃないですか、大部分は。
私交流してないし観測範囲がめちゃめちゃ狭いんですけど、まぁそんなもんだろうなぁ。
ワンパンはその読者に、PC的にも議論の成熟度的にももはや何も望めないんですけど、―ぷりズナーちゃんめっちゃ好きだけどあんな「オカマ*」キャラ造形ってアリ?今2018年よ?―そういえばJUMP作品を受容できるなら、大抵の”創作と現実の切断処理"はうまくなるよなぁとは思いますね。ある意味納得。
あれ、でも、ワンパン界隈で前に「学級会」が起こったのって「作画担当者がキャラの女装?女体化?を描くことは公式としてあるべからず不当行為である、但し公式にそれを抗議することはありうべきかなしか」じゃありませんでしたっけ?現実に起こったことを容認せず、妄想の規範で行為者を処断するって、今回のスルーとわりと逆じゃありません?どうしたの?(じゅんしんなひとみ)
って皮肉が皮肉にもなってないので、もうすこし詳しく書きましょうか(そんなことしてる場合ではない)(引越しはどうした)(いや大変だからちょっと疲れちゃって)。
いやめちゃめちゃバカバカしい話なんですけど。
件の女体化にあたってそれが炎上したのは、(後に騒ぐことになる)一部のファンの共通認識≒妄想と全く同じかたちでありかつ望ましくない方向性を持っていたからです。
一部のファンはもちろん老若男女多くのファンではなく、腐向け二次創作によって妄想の伸長方向を剪定された人々であり、また学級会を開く程度には自集団のあり方をしっかりと認識、自己規定している集団です。
曰く、公式と同人妄想は別物。自分たちは公式に影響を与えてはならないしそのためにファンとしての購買力以外で無闇にその存在を誇示してはならない。
ここちょっと捩れがあるんですけど、公式と自分たちが別ものというテーゼが先走るあまり、公式が自分たちと重なる表現をすることを忌避するんですな。(この辺恐らく”腐媚び”という―実際それがあったか否かは別としてそう認識された―事象によって過剰反応してしまう面があるとは思うんですが) 進行中の物語である以上、公式の表現は流動的で予測不可能なものなんだけども「我々とは違うはず」という認識に縛られるあまり固定化した、自分たちとは違う表現方法を持った公式を幻視してしまう。あるいはそれがあるべき姿だと想定したうえで公式を見るようになってしまう。
で、ここでいう自分たちは女体化を含む男性同士の恋愛行為をダイジェストしネタとして抱えているんですよ。よって公式は「そういうことをすべきではない」存在になる。
そしていざやってしまうと、それはやるべきではない非正当な行為である、キャラ造形のauthorityである自覚を持って弁えろ、と。こうなるわけですよ。本来表現に先立って存在するキャラクターのあるべき姿なぞないはずなのに。
"正しさには射程がある"とは最近よく聞く言葉ですが、要は規範は社会の価値観によって存在する、ゆえに規範を共有しない社会の外/別の社会においてはその規範は通用しない、ということです(だいぶちがうし雑。でも今要るのはここらへんだけなの)。フジョシ集団において自明の正しさを持つ「女体化などのフジョシ用ネタと公式とは重なってはならない」という規定は、もちろん実社会で何の効力もありません。布告されたことすらないでしょう、当然ながら。
ひとつ象徴的な呟きを覚えてるのでメモしときます。
"pixivにアカウントつくれよアイツ"(大意。こんなニュアンスだった)
彼らにとっては、その変形ネタはpixivにはあってしかるべきものなのです。そしてpixiv―同人創作物と公式は決して重なってはならない。そういう”当たり前の決まり”があって、それを村田氏にも適用できると考えている。
わぁ吃驚!
自身の所属集団における不文律(明文化、あるいはせめて利益構造なんかの読み解きにおいてそうすべきと理論化されてるなら是非教えてください。読んでみたいわ)が集団外の他者を縛ることができ、他者がそれに従わない場合には糾弾が正当であると考えている。もしくは集団の内外境界すら意識に上らないのですな。ワンパンマン読者一部は!
ちなみに、ここで、もし"実際騒いだ人々"がいたら言うでしょう。
「私たちは原作者に抗議したわけではない、それは一部の 幼い/愚かな/常識的でない コミュニティの異端がやったことであり[切断処理]、私たちはその抗議自体の是非を議論したのだ[超越的な自己を規定したうえで議論を試みる]。またそれにまつわる原作はどうあるべきかの意見については個々人の所感でありいわば愚痴に過ぎない。個人的嘆きすらバカバカしいと大上段に批評するのはお門違いである[意見の正当性ではなく発言者の立場に言及]」
「そうは言ってもキャラの根幹たる性別変更はやるべきではない[程度問題に]。それは原作者[権威]への反乱であるしそこに立脚する我々への裏切りである[正誤ではなく善悪などの問題にジャンプ]」
この辺が出るでしょうね。
あのさぁ、緩いコミュニティで発言形態も観測方法も確定してないネット議論で"多人数ではあっても個人的発言であり都合よく切り分けてください”とかあまりにも甘えた眠たい意見だと自覚いただきたいですね。数があつまりゃ力になるしその力を自分の正当性と勘違いして公式に御注進に走るやつもいるんですっての。
仮にも(かなり局地的とはいえ)炎上と呼ばれる程度の騒動を起こして作画担当者の謝罪まで引き出した、その結果にだけは自分の責任を直視なさいな。表明した意見の正誤はまず措いてもさ。
同じ論法使うなら、ここにこもって"大上段に批評"してる私のほうが余程、どこにも影響しない愚痴らしい愚痴だぞトートロジーになるからこれ以上言わないけども。
で程度問題だとして、訊きますよ。
例えばその改変が何ならば許せましたか?個人の見解ではなく、それがコミュニティの総意として議論を誘導できるものになるほどの改変とは、どこで線が引けますか?
村田氏は絵で表現する造形にこだわりを持ってるので、その観点で置換できるもの、例えばジェノスが黒髪だったら、反転眼じゃなかったら、レトロSFやスチームパンク風機構だったら、etc.etc...
順序だてできない変形の内容を程度で云々するのも無理だけど―黒髪と目の色と装飾をどうやって序列化するんだ―、それよりもっと重要なのはどこに属するネタか、だと思いますよ。
漫画文化においては―それは唾棄すべきというべきなんだけどまぁおいといて―女体持ちか/男体持ちかはキャラ付けのうえで非常に重要な要素です。それだけで幾分かのステレオタイプができている。ついでに、同人文脈においてはこれに該当するのが受け/攻め。メインストリームにおいてはその二種は交わらないし置換もできない。「攻めっぽい受け」「受けっぽい攻め」や此処に要素を分解・付与できはするけども、基本的にそれは不変。男女がそうであるように、恋愛行為過程における役割や振舞い方が規定されてるのがスタンダード。(もちろん例外と、そうではない方向への発展はあるよ。なければだめだよ)
同人腐向け文化においては、この恋愛模様が主たるテーマになっています。(というか逆にそれをテーマにする創作を腐向け文化というのだけれども)
言い換えれば、その文化圏のコミュニティは自ずからそのキャラ規定を共有していることを前提に結合しているのです。キャラ付けがあって恋愛模様の消費ができる、だからコミュニティにおいては恋愛に(というか二人の関係性に影響する)キャラ付けは最重要なのです。キャラを単体で消費する文化圏においては、男女や関係の規範があるキャラ要素は重要ではない。(繰り返すけども、個別の創作・作品内においてリバやジェンダー観を脱却したキャラ造形や人間の営為の表現があるのは当たり前です。ただ文化構成の大前提にそれらがあるよ、というだけの話です)
先の問いに構造問題として答えるけど、コミュニティの総意になる―というのが過剰ならば、議題に上がるまで、に譲ろう―のコンセンサスが形成されるのはそのコミュニティの構成要件に触れている要素だけです。すなわち、関係性を消費するにあたって必要な要素。
女体か男体か、はそこに属する問題だから、腐向けコミュニティで「どうーでもえーわ個人で判断せいやハイ散会」にならなかったのです。
まとめると、腐向けコミュニティの不文律をその妥当性も考えずに違反問題として顕在化させてしまったことと、議題がコミュニティの希求根幹(創作の根幹ではない)をなす要素だったことがあの問題のすべてですね。
つまりすべてはフジョシの側にある”引っ掛かり”だったのにそれを他者(よりによって原本の作画担当者)を巻き込んで突きつけた無自覚っぷりがひどい、という話にしかならないのです。あぁバカバカしい。
*男が好き、なだけではなく相手の意思を無視して"襲う"とかバレエレッスンを気持ち悪いものとしてギャグにするところとか。
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