意を決してphobiaさんのポストカードを買ったんですよ。
…美しい………。
封筒手に取った瞬間震えましたね。お洒落すぎる…。梱包からして驚かされるセンスってなんだよ…美の権化か…
いや写真がダメ過ぎて品格が全く伝わらないんですけどね、すごく素敵なんですよほんとに。語彙が消失するくらい。
繊維荒めの黒上質紙に、宛名部分は破れ目を見せる別紙…!破るってなんですかそんなの「(原価かかりすぎて真似できないけど)カッコイイ名刺センス15選」みたいなのでしか見たことない…!
で、文字がまたお洒落なんだ…
吾桑は字が綺麗な人を無条件に尊敬するけど、この絵描きさんはさぁ…もう特にさぁ……。ちょっと遊びのあるハネとインクの溜まりを活かした細い曲線。自分の名前さえなんか素敵なナニカに見えてくる。
そのうえ差し色の切手ですよ。しかも春の花である山吹…(これは偶然な気もする)。
おぉ…。
開封したらこれですよ。リボンにエンボスペーパー?カードストック?っていうの?何かお洒落な台紙にリボンに…
このまま保存したいくらい美意識の塊である。いや眺めやすいようにひとり画集つくるから分けるんですけども。
もちろんメインの絵も素晴らしい。今回買ったのは古めの作品が中心で、最近の作風*とはちょっと違うし、紙やインクの選び方?も今に比べたら甘いかな、って思わせられる点もあるんだけども。しかし圧倒的な美と線の官能が。
*新しい作品のほうが、描写に呑まれる感覚は強い。暴力的なまでの、細密さと線の語る世界の力というか…。
怖ろしいほど美の気配に満ちた春の便りでございました。
やはり美意識を持って生きるひとというのは、それをペンの先にだけ現すというものではないんだなぁ……。
どういう小説が素晴らしいかを考える時に、僕はどういう音楽を素晴らしいと感じ、どういう美術や映画を素晴らしいと思うかをいつも考える。「趣味」の洗練のためには、ジャンルを問わずによいものに触れ続けることが重要。批評でも何でも、そもそも「趣味」が悪い人はどうしようもない。
— 平野啓一郎 (@hiranok) 2017年4月7日