焼き払え!

例の筒井康隆に関して。SF好きとしての感慨。

まあ内容と御大については「ジジイ断筆じゃなく断首しろ」だけなんですけどね。内容以外のことについて。

 

「もっ、元から筒井康隆なんて好きじゃなかったし…っ」っていう言い訳と受け取っておいて頂いても結構です。(唯一手元においてた『私説博物誌』を借りパクされててよかったと胸を撫で下ろしつつ)読んだことがある、さえ恥に思う作家なんて久しぶりだよ…。作家と作品は別物だというのに…。

 

本当は後ろのほうに書いたこもごもの吐露が先に生まれたなり。

 

SFにおいてはあれがスタンダード、なんてことは一切ない。

同時に、「現実世界のあらゆる価値規範をなくして虚構世界を構築するもの」だから作家やアーティストは何を言ってもいいという芸術無罪論も、前後のつながりは順接ではありえないし、作品内の価値観や発言への批判をかわし得るものではない。

 

フィクションを描くにあたって、虚構世界の"bizarreさ"やその時代特性を描くために現実・現代世界の倫理・価値観をひっくり返して見せるのは勿論アリだし、その倫理を支えるために緻密に主義主張原因機構を描く、書くことでその偽倫理・偽価値観を正当化するのは手法として全く正しい。それに是非もない(それを留めることもできないし)。リアリティを出すために、その価値の対象を現実・現代の何かと地続きにすることも正しい。ただ、それが現代に繋がるものであった場合、あるいはそれによって害を被る人間がいるとき、有害だと彼が声をあげることも同時に正しいし、それはむしろ「フィクションをフィクションに」閉じ込めるために毎回必要な手続きだと思うのね。

「虚構と現実を区別せよ」→批判者に対して「だからフィクションのなかの規範に目くじら立てるな」と、よく言われるけどもこれは違うだろう。「~区別せよ」→読者に対して「フィクションの規範を現実世界に適用するな」でなければならない。そうでなければフィクションそのものが自由な世界構築が出来なくなってしまう(cf.ドラマのバタフライナイフによるナイフを用いた犯罪惹起説)。そもそもフィクションのなかの倫理・規範が必ずしも現実に適用可能ではないことを、フィクションを享受する側が共通認識にしていなければ/共通認識にするまで声をあげ続けていなければ、フィクション=悪という批判に対して反論が出来なくなってしまう。

読者の潜在ないし存在しなかった意識を惹起し掘り起こし発見させるのが文字化・漫画化されたフィクション(娯楽によって味付けされた他人の意識)。これはもう原理としか言い様がない。人間が自己の思想や欲望を発見し明確に意識するのは、リアルな対人関係や検証済みの学術書によってだけではない。小説・漫画各種のエンターテイメントによってもそれは発掘される。(あなたはこの一月に「○○さんの漫画で~な性癖に目覚めちゃいました」「▲▲を読んだら***も好いモノだって…開眼」という記述を何度見ましたか?)*

絵本によって現実世界のルールを知っていく子供と、フィクションのそれは現実世界のルールとは違うと弁えている大人、この違いがなければ、なければというよりも違いをつくらなければ、フィクションはフィクションとしての立ち位置を失ってしまう。

 

読者たちは虚構作品のなかの倫理規範に対しての現実との照し合せを継続的に行って(これはわりと無意識にやっているだろう。その上で現実との乖離やその幻想の甘美さに酔ったりしてるわけだし)、その上で絶対に尊重すべきは現実のほうという弁えを持たねばならないはずで。何故かといえば、自身がフィクションと現実の区別をつけていないと「フィクションによって殴られた」と主張する批判に反駁できないからだ。cf.「ミソジニックな作品!○○しろ!」に対して「二次元の■■なおにゃのこに対して嫉妬してるからこんなこと言うんだろ、こんな批判取り上げる必要ない」という反論がどれだけ無意味か考えられたし。

その意味で、作品に対しての倫理的な観点からの批判は止めようがないし、また止めてはならないものだと思う*。

 

 

ましていわんや、作品外の作家の発言に忖度や規範の治外法権を適用してあげる道理なんてどこにもない。twitter上の発言(blogからの引用)なんてまさしく作家の現実社会への発言以外の何ものでもないだろう。140字掌編だの"ネタ"自己アピールの場だのという捉え方もあるが、今回炎上目的の発言だと既に弁明?回答している。作品だとしても前述の通り批判をかわしうるものではないし、そもそも主語が自分で目的語が実在する像である時点でそれは超越した虚構世界ではなく現実と地続きの世界の話。フィクションだから現実世界の規範で裁かないで、というわがままは通用しない。

さらに、この作家は(或いは作家一般は)元来に規範意識の低いイキモノである、という擁護論は効力がなかろう。その記述はそのイキモノを理解し撫育するうえでは重要な情報かもしれないが、だからと目にした人間に対して許容を要求する道理はどこにもないし、強制力もない。むしろその擁護を目にした人間に作家と発言者を警戒させるか、啓発を志させる効果しかない。

この擁護論が頻出するのは、その中身が「筒井を尊重するがゆえにその人物を理解し攻撃から逃そうとする」のをイメージさせるのと違って、単にこの論法を好む層と筒井のこの侮辱に親和する層が重なっているからに過ぎない。筒井自身には大して執着していないと思う。

なんとなればこの擁護論は土俵外し・論点ずらしに過ぎないから。

「筒井はSF作家だから(真っ向から批判している人間が莫迦である・批判が無意味である・批判されても瑕疵にはならない)」は筒井の発言内容に一切触れていない。触れないことで、勝負に比せられる議論において一方的に勝負を放棄し、なおかつ勝利(勝敗はあくまで比喩であって議論の結果とは別次元の終結が勝利)宣言する、というなんかよく見る図式。めっちゃ噛み合ってない。

 

作品・作家いずれにせよ、そもそも「批判のどこそこが正しくない」「批判が的外れ」ならともかく「批判してはならない」が正当な反論・意見表明足るわけないだろう。

 

 

SF界・文壇から批判がでていないのも問題だと思うけどね。

その辺は"大御所"に対してや"同僚"としての配慮があるのか、それともあまりに下種な話題だから目を背けているのか飛び火するのを恐れているのか。

 

というわけで繰り返します。「阿諛追従を拍手で迎えてんじゃねぇよSFバカにすんな」

 

*そりゃまぁごくごく稀には「原野に生まれ育ち初めて舗装された駐車場を見た瞬間、意味も分からないまま猛烈に欲情しました」みたいな人もいるらしいけどさ…それはすごくレアケースだし、むしろその告白録によって駐車場欲を明確に意識させされた人間(その告白なかりせば己の欲に気づきえずに死んだであろう人間)のほうが多いと思うので…後者を念頭に話をすることを許していただきたい。

 

 

*私自身、逆に作品の時代性を考慮して、作品に流れるミソジニーを許容したことがある。これは"味付けした昭和のノンフィクション"であるがゆえに読者にも批判者にも虚構の倫理と思われず大義名分化、現実と線引きされていない倫理(いやふつーに読めば峻別できると思うんだけど)として捉えられる不幸な例だと思う。これに関しては批判者のほうが求めるものの求める場所を誤っているという意味で間違っていると思う。だってその批判が正しいとしたら、『ガルガンチュアと~』の第一章読んだ後にラブレーに対して「お尻拭きに子猫使うなんて虐待じゃねーかバカヤロー!」って文句言わなきゃならなくなるよ?私は文句言うけどね!

そしてまた、これほどまでに下衆で醜悪な発言が"陳腐"になってしまったことに対して、正直暗澹とした気持ちになる。

筒井が活躍していた60~80年代という"タテマエ"が生きていた時代には、これはショッキングな発言足りえたんだ。表現の汚さとしても、アウトローさ加減でも。

 

ところが現代においては、ジズムに限らず下品とされる表現は、下品という評価をぶら下げたままゴミ捨て場から表の世界へ溢れだしてきている。それを見た人間は「またか」と眉をひそめるだけで度肝を抜かれるようなことはない。

アウトローさにしても、こと対「韓国」の「従軍慰安婦」についてはどんな侮辱も恐喝も「アリ」だという風潮がある層(しかもこれが結構厚い)には存在する。ちなみにそういう状態が事実として在ると言うだけでそれが正しいとは一言も言っていないので念のため。層、という言い方は適当でないかもしれない。従軍慰安婦問題において日本と敵という二項対立を仮想し、日本の非を問う「他者」を非難・排撃し一致団結する集団(他の点においてはもっと流動的)だから。つまり日本への攻撃に対する反撃、という体裁をとることで敵への侮辱は多数にとっての「正当」化がなされる。

「筒井はアナーキストだから」「超越者だから」と擁護する人間はここを故意に無視している。

権威を権威と思わない/力を恐れない/自己の倫理観念を封殺する、ならばそれはアナーキズムとも超越ともいえる。けれど今回の発言は確実に勢いのあるほうの風潮にそのままのっかったもの。直接的に脅威とならないであろう「慰安婦像にシンパシーを感じる側」を侮辱挑発することで、それに「敵対」(恐らくは幾許かの後ろめたさを抱えながら)する側の共感を得た。しかも著名な作家という権威を持ったまま。これが力ある側への阿りでなくて何であろう。

これが「韓国の公道で、首相に俺の尻を舐めさせたい」とかなら同調する人間はもっと少なかっただろうけれども、アナーキーさは幾分かあるだろうに。

 

で、視点を戻すけれども、筒井の発言は「タテマエとして正しいこと」への反抗としての要素は幾許かはあっても、大勢に対して反旗を翻すもの、権威を無視したといえるものではない。

 

タテマエが死んでどんな表現も陳腐になったこと、正しさの検証もせずに冷笑的に「敵」を排撃することが当たり前になったこの世界って、すごくヤダなぁという話。

 

 

 

 

 

こっから余談。(いや本論なんだけど)

 

ごくごく近視眼的な感想として、(それが自己保身やスノビズムの変形だとはいえ)それほどまでにファンとして作家を擁護し追従・迎合することが出来るのはちょっとだけ羨ましいと思わなくもないんだよな。私はそこまで執着できない。

そもそも作家だと思想と知性が著作にダイレクトに反映されるし、その時点で振い落しは結構かかるから。音楽家や絵描きならそもそも気づけないことも多いけども、作家なら気づけるという。気づいた上で"ファン"やってられるのは、諦めがある場合も多い。あと著述家でも学者やジャーナリストなら、発言は、常に信頼ではなく裏づけによって支持不支持が都度決まるわけで。「彼が言ったから正しい/誤りに違いない」という意識にはなり難いだろう。事実に反してまで差別意識に寄って発言するのは、その時点で実証主義という科学手法の大原則から逸脱した人非人ということなので話にならないしな*。

繰り返していうけど、今回の騒動における筒井康隆擁護は韓国ないし女性叩きの正当化のひとつのかたちに過ぎない。もっといえばある層における"俺達のスタンダード"に著名作家が擦り寄って来た嬉しさ(祭り感)という権威主義、批判する側へのマウンティング―内容についての議論の土俵に立たず「筒井だから」という超理論で土俵を無効にしたことにする一方的な勝利宣言―であって、作家への尊敬や崇拝の発露ではないんだけども。

 

そうなんだけども「筒井擁護」として捉えたときに、私が同じ行動を取れる作家は一人もいない、というのがちょっとだけさびしいという気持ちは正直ある。

その気持ちすら、「何かに一意専心するのが至上」という下らん刷り込みに過ぎないんだけどね。

 

例えを挙げるけど↓、これは発言が全部「莫迦な事」として定義された場合のことね。発言自体の検証や定義は済んで、内容に汲むべき点がないと決定したものとして。勿論内容には批判を加えますよ、そういうかたちでの関与は私だって行う。けども、そのうえで作家を擁護するとかは無いだろうなという話。(疑いようのない莫迦な発言と定義された段階で、作家に対しての検証が済んだことになってるのは欺瞞じゃないか、作家の真意の洗い出しや深読みだって擁護・迎合とは限らない検証作業だけどここでいう擁護になってしまうトートロジーじゃないか、というツッコミはあると思いますが、今回の切欠が筒井のアレというもう疑惑レベルじゃないクソだったことから、ちょっとそこは見逃してください)

 

例えばoneやKBTITや九条キヨが「日本人は皆サムライ(なぜかカタカナないしアルファベット表記)になって○○を討て!」って言い出したら「お前ならそう言うだろうな、しかし影響力があるから黙れ」と納得混じりに諦めを再確認するし、小野不由美が「底辺層を焼き払え!*」って言い出しても「今まで巧く隠してたのに…」って失望する。三家本礼の「おっぱいがない奴は死ね」には「自分自身がキワモノ芸人になってんじゃないよ作品内のレイシストやキワい悪人の味付けに使え」という憤りになる。

考え難いというか、少なくとも私やついったらー程度に尻尾掴ませるレベルの失言をやらかすとも思えないんだけど、山田正紀や平野啓一郎やGibsonが莫迦な発言したら、熱がでるまで誤ってるのは自分じゃないのかって問いを繰り返した後に「お前の知性は如何したんだ」って泣きながら殴りかかるし、皆川博子の場合は亡くなったことにする。著作を全部"古代遺跡から発掘された詠み人知らずの伝承作品"にカテゴライズする。それ以外のやつらはただ悲しい。

いや本当に確定莫迦な発言しないと思うけどね。ここに挙げた文筆作家は。少なくとも同時代に生きてる範囲においては。

 

あっ結構執着してるわ後半。

 

 

*誤るから学者じゃない、と言いたいんじゃない。差別すること、は科学の力としての属性の利用法のひとつに過ぎなくて、批判・検証を受け入れるそれに値するだけの発言になりえない差別意識の発露は学者としての業にはなりえない。のにそれを科学の名においてなすことは虚偽だし、虚偽を発表したその時点で発言者は科学者として失格ということ。

 

 

 

*どうでもいいんだけど、これ「東京を焼き払え!」だったら私悪ノリするな。「おう!やれやれ!ついでに大阪も京都も焦土にしろ」みたいな。先の定義と違って"実現があまりに不可能に近いがために損害を被る人間がいない"枠の失言だからだけど。ヤッチマイナー!