天網恢恢

なんかふっと思ったんですけど、Doutzen Kroes って自分のなかではのりかとか その類の"好きな系統ではないんだけど絶対的に美しい"カテゴリに入ってて。(個人の好みをいうなら FKAtwigs とか Kalie ClossとかNicole のが好き)

彼女が"美しい"存在として認知されて美の規範であり理想系というかたちで掲げられているからっていうのはもちろんあるんだろうけど(何も知らない人間はきっと彼女を示されて美しいということばの意味を知っていくだろうって)。360°止まっても動いても美しいってなんじゃそら、と。撮影中に、カメラマンが消えても、世界が滅びても、そのほろびゆく悲劇を背景に美しくあるんだろうなって。絶対的に。

けども、私はその美を賞賛はしても手放しで愛するのは無理、という。

 

そこからの連想で、まあ砕蜂妄想なんですけどね。

 

 

神のうつくしさが、自分が愛しえるものではなく、また愛されることもないものだったら哀しいなって。

砕蜂は夜一様を崇拝して自己の全てを預けたけど、それって継続的な自己を前提にしてしまったための悲劇なんですよね。ちょっと主観というか個人的な感覚入るんですけど、なんか突き抜けてなにかに感動したときって、自分というか、その対象に対峙してる自己を俯瞰的に見てる視点って消えうせるじゃないですか。(私の場合はRattle-BPOの海を聴いたときとかphobiaさんの絵の前に立ったときとかだったんですけど) 円紫師匠の「観客も演じている私も消えて、"芸"だけがそこにあるようなきがします」っていう一文はこれを指してるんじゃないかなって勝手に思ってるんですけど。

対して砕蜂の場合には、やっぱり幼くして家の名とともに負わされたもの、「この人のために死にたい」と心決めた自己規定の先にあるものであって、無条件にそこに溺れることが可能な対象ではなかった。正悪の規定があって、それに沿わなくなったとき、夜一という存在は『墜ちた』と表現されるしかなかった、と。そこが悲しいなと。

夜一様が唯一無二の存在であれば、つまり自分に沿うか沿わないかにかかわらず信じ続けられれば、絶望なんかしないですんだのに。守らなきゃいけない世界とか自己の完結のための必須要件だなんて、自己を相手に透かし見ないで、単にアイドルとして崇拝していれば何も失わなかった。

偶像、あるいは固定されたテキストが神足りえるのはそれが動かないから。動かないから幾通りもの解釈が可能だし、原理主義から解釈自由主義まで立場を選べる。固定されていないそれに自己を合わせようとすると、自己同一性とそれが乖離する瞬間が来るのは必然。

 

夜一という一個を全人格的に掌握して愛することは、砕蜂にはできなかったし、そして夜一から現世へつれられることもなかった。そこにSS/刑軍のためにあえて砕蜂を残しておいたという選択があったか否かも語られていない。

 

でもその奔放さは夜一そのものだなぁと。そこを許容できずになぜと思ってしまう砕蜂はもうほんと、ほんと誰か他のやつを見ろよ!みたいなもどかしさがですね!

 

 

 

 

あと、すんげぇどうでもいいんですけど、コーカソイド(ものすごい乱暴な括り)のごく古い、自然な"うつくしい"プロポーションって、Sharon den Adel みたいなやつなのかなってぼんにゃり思いました。なんか新古典派の絵画に出てきそうじゃないですか。マッスとヴォリューム。胸もウエストも尻も円周としては結構あるけど、真ん中で絞れるから(逆に言えば可塑性のある肉で構成された身体)、砂時計的なメリハリはついてる。モンゴロイドみたく、胸郭が平たいために腹がへこんでも前から見たら凹凸が目立たない身体でもなく、ニグロイドみたく骨からしてしなやかな反りをはらんでるのでもなく。肉。

ギリシア・ローマという源流はあるにしろ、中世を経てコーカソイドばっかりの社会で醸成された美的意識。(それが締め付けをやめると、ナポレオンの帝国様式とかアールヌーヴォーとかになる…んですよね?)

対して、Doutzen はやっぱり現代の身体なんだなって。ニグロイドのしなやかさや鍛えられた身体の緊張感をかなり意図的に目指したかたちじゃないでしょうか。<どっちもオランダ人、ただしどこ系かとかは知らん>

 

 

 

 

 

【日記】

今山手線で隣の男女が「乙女ゲーっていうのは」っていう話をしてまして。画像見ながら、どれがいいそれがいい言ってんですわ。勿論それはいいんですけど、内容がさー…

・出てくるのはイケメンだけ


なんですって!それはさー違うんじゃないですか!!こう、もっと、爺とかクマとか死体とか、意志疎通できない人外とか獣とかさ!! バリエーションが

あったほうがいいんじゃないですかね。あと、男性向けえろげには攻略対象に男の娘とかいるらしいのに(聞きかじり)、乙女ゲームには女の子とか婆とかがいないのはなんでですか!? 絶対面白いて!


って考えてたところに「あ、その赤髪はねーアンドロイド」って聞こえてきて開発者さますげえってなりました。

 

 


突然語りたくなったので。


好きなシチュエーションは?って聞かれたらすっごい迷うけど、「遺体を爆破」はとりあえず挙げたい。小説の上での、細川ガラシャとか柴田勝家とお市の方とか、AliensのVasquezと中尉とか(これは正確には爆死か)。遺骸すら敵の手に渡さないっていう気概がいい。好き。

余談だけども、そんなわけで司馬遼の短編では『胡桃に酒』が一番好きかもしれない。たまと小斎の描写もかなしくて悲劇の美しさがよう映えるし。


ただ、細川忠興のエピソードの解釈については、永井路子の『朱なる十字架』のほうが得心がいくけどね。どっちがリアルかって話じゃなくどっちの積み木が面白いかって選択だけども。


さらに余談をすすめると、長編で一番好きなのは『花神』かな。自分が同僚に読んで欲しい本は『花神』と金子勝の『逆システム学』。ついでに平野啓一郎の『分人とはなにか』か。まあそんな話しませんけどね職場では。