久遠の庭

物欲の話



(14.8.26 原画展感想加筆)

 

やられた(笑)

 

何回か書いてますが、飢えが募るので十二は続きが出るまで買い足さないように決意を固めてます。

…すぐ揺らぐけど。

 

というわけで買ってまいました、山田章博画集。

ちなみに、コスパ的にはあんまりよくないっていうか、コンプリート願望が無い人には向かないと思います。この価格なら、十二に限定しない普通の山田画集買ったほうがいいです。

 

じゃあ買ったの不満なのかって、大満足ですよちきしょー。

いやなんか新潮社の思う壺に嵌った感ていうかこのパフォーマンスに喜んでしまうのが悔しくてですねw 山田章博の作品集としては価値を持ってるけども、ひとつのジュブナイルの関連作品総ざらえって、それ編集のコスト何処にあるんだよっていう。

 

さて、感想ですが。

筆致が見えるのがやっぱり嬉しいですね。

そして、挿絵を鑑賞しようとするとどうしても文章が目に入って読みふけってしまうわけですから、絵だけを見るにはこういう集め方をするのも効率的かもしれない。

 

・出力を前提にした制作

なんか「ずるい」と思ってしまった(笑) 文庫サイズに印刷したときに、構図・明暗のバランス・メリハリ・描写の粗密バランスが最高になるようになってんですよ。最小工数で最大の演出効果を達成してんじゃないのかと。

 

( 余談ですが、この辺ってアナログとデジタルの間でもたまに感じます。

ディスプレイって、見たいサイズで見えるから、どんなサイズ感でも描けるし、際限なく書き込めるしそしてその書込みがそのまま目を引く力にな(りう)る。けれど、紙に出力したときに、サイズは紙のそれに固定されるし、書き込みは下手したら潰れる。結果、PCで見てたときには見事な作品だったものが、出力したときには何の感慨も引き出せない作品になることもある。もったいないね、あれ)

 

勿論後ろに行くにしたがって、―山田氏の作品全体における傾向に同じく(cf. 「魔術師~」と「beast~」)―描き込みは多くなるし、線も細くなるんだけど。ただ、一枚画としての抜け感は、ずっと必要十分を保ってる。

 

 

・描線のこと

ほつれとゆがみのない端正な線は、それ自体鑑賞に耐えるものだし、輪郭を現すのにも優れている。 対して粗い筆の線は、線自体がその存在を主張し勝ちになる。 けど、その線を集めてなお描いた対象をそれと判らせることができて、そしてまた、それが虚構世界の記号や、絵画技法における越境というか混淆を赦している。凄いねぇ。

 
ところで「海神~」って下書きなしで画いてんじゃないですかね。なんとなく思っただけだけど。
まあ見事なんですけど。このひと下書き見ながらトレスとかなしで主線の描き起こし(=下書きの最良線の復元)できる人だからな…(cf.「色彩王国」)
どうでもいいけど、たしかに山田氏の下書きは半端なく完成度高いよ。べつに書き起こさなくてもそれ自体で何を描いてるかわかるしきれいなもんだよ!トガシ的なアレじゃないよ! でも「ロードス~」で下書き原稿載せたのは、修正版出してもいいんじゃないですかね!あそこクライマックスだよ!! 超見せ場だよ!! 何でそこだけ鉛筆線なんだよ(∵病気療養中)
 
 
・デザインと色
テキスタイルが鮮烈だなって思うことがままあります。なんか、原小説読んでると、ついこう、中世~現代直前(中国史に近世は存在しない)あたりからあの強烈な観念論を引いたような世界を想像してしまうんですけど(相似ゆえというよりも想像のしやすさ)、でも、描かれるモチーフや上述したようなおおづくりな文様を見ると、引き戻されるんです。古代なんだなって。この世界の原理としてあるものは、美も虚構も力も不可分のカオティックな何か、というか。文章に端的に表される単線的な論理思考ではなく、それと並列的にはしりかつ絡み合う思惟の力。いや中国古代は世界観に対してあきれるほどに精緻な機構化を行ってますけど。官僚制とか。
 
とにかくおもろしかったです。
 
蛇足ですが、「十二」は民の物語だってよく言われるし実際その通りなんですが、それとは別に、あるいはその舞台装置として、"明文化された天理を世界事象に落とし込む"あれ何書こうとしたんだっけ
 
 
とにかく

原画展行ってきました。

 以下まとまりのない感想。

 

 

 

別にいちんち張り付いてたわけじゃないんで予想ですが、午過ぎと閉館前が混んでたんじゃないでしょうか。自分は2時前くらいに入ったと思うけど、3時過ぎ?に出るころにはガラガラでした。あ、平日の話です。

 

楽しかった、というかずっといたかった感じです。超狭いし展示は半分しかなかったんですけど(入替え)、見てて飽きないし、考えることが沸いてくるし。

カラーもですが、白黒に驚かされました。墨の濃淡・擦れ・延び・たまり全部コントロールしてんじゃないかっていう。ため息しか出ませんわ。

緊張感を線で表現できるって、なんだよそれ。「藤原保昌月下弄笛圖」かって。

黒のベタ塗り、水墨画的な滲み表現は、原画ならではの眼福だったんじゃないかと。…印刷するとムラは延べられるからなぁ。

 

それに構図ねー…

声も出んわ(笑) 『図南~』の挿絵とか、二人向き合ってるっていう平板になりそうな構図で緊迫感を演出できるってさー。。。

 

あと、旧版と新版較べられて面白かったです。

犬狼真君のそれに端的にあらわれてる気がするんですが、なんつーか新版は絵としての使い方がぜーたくですよね。旧版は、やっぱりWHとして制約があるというか、描いてるものは情景でありキャラクタであり叙情であり、世界観を伝えなきゃいけないという点で説明というか情報をわかるかたちで複合的に含ませてある。けども新版は情景の先にある、表情であったり人物相関図であったりモチーフであったりに特化してる感がある。そりゃ読者はわかってるからね。

 どっちが好きかって言われたら前者なんですが、しかし画の力にねじ伏せられてしまうんですよね(笑

 

でも額装がズレてたのはちょっとやだった(笑)

『黄昏の~』の挿絵。あれ阿選かもしんないのに(自分は違うと思ってる)。ていうか髭猛者が!髭猛者が!! 削っちゃ嫌なんだ!

 

あいかわらず字綺麗ですよねー。『Bamboo House』見て知ってたけどさ! 

 

 

とかいいつつカラーにも目を見張ってたんですけど。

意外と彩度高い色使ってるんですな。いや勿論印刷でも明暗と彩度のバランスが優れてるっていうのは出るんですけど、なんか顔料に近いんじゃみたいな黄緑とかあったんですよ。実際岩絵の具とか使い始めたのかしら?(でも水彩と岩彩って同時使いできるっけ?)(むかしは「小学生が写生に使うような道具」で描いてるって明言してらした)。あと古画調の一枚が、何かやたらときらきらして見えました。単に超絶技巧なホワイトの効果だけ・・・なのか?

 

あ、あと以外に紙が撚れてて面白かったです。CDブック表紙

粗めの紙も使ってあったけど、紙自体の陰影って印刷に出ないんだなーとか。余計な影を飛ばして粗目の繊維に引っかかる色粒子の粗密(山田氏がよく効果に使ってるアレ)は残せるってナニソレうらやましい。

 

画集のときもあれ、と思ったんですけど、『図南~』はやっぱりちょっと劣化してるっぽいです。―とはいえ後半(94年以降制作)しか見てないんでアレですけども・・・―ここ悲しい。『風の万里~』とかは気にならなかったんですけど。緑系は弱いっていうもんなぁ…赤に近づくにつれて耐久性強くなって茶系最強、って話でしたっけ?

いやこれはちゅうに的薀蓄の"絵の具の身体に優しい順位~青の絵の具は毒なんだよ"が混ざってる気がする。

まあ普通に考えて蛍光色使ってたら色褪せるわな。

 

あっ記念書き下ろし画のあれは『多麻能美須麻流』とか『天空人讃揚』とかのあれですよね?

夏服が涼やかで素晴らしい。

 

 

 

 

ケチつけんのもなんですが、青山通り沿いじゃなくて下北沢とか秋葉原のちょっと引っ込んだとこにもそっと広いとこ借りて、全点展示やって欲しかったというのが正直なとこではありますね。いや、場所代じゃなくて企画とった主体の問題だってのはわかってんですけど。

 

どうでもいいですが、ワタシ未だにあの手合いのイベント行くと変な汗かいてまう。。。いわゆる普通の展覧会だったらそれが例え「寄生虫大全」だろうと「女陰のすべて」だろうとへらへらしながら入れるんですけど、なんかああいうとこって「クリエイターじゃなくてすんません生きててごめんなさいぃぃぃすぐ消えるから見逃してください」みたいな緊張のしかたしてしまってだね…だれもみてねーよ。

 

 

 

 

あと、わざとここまで個別のキャラクタとか触れなかったんですけど。

ひとこと。新装版の頑丘何あれ! なにあの髭悪イケオヤジ!!(でもお疲れ顔) ちきしょーきゅんとしたわ!