ひと足伸ばして

澳門のたびにっき。

あんまり当てにならない。ほぼ備忘録。

 

* おもいきし吾桑の趣味に走ってます。

 ・ カジノでヽ(゚∀゚)ノヒャッハー とか

 ・ 免税店でハイブランド品(´∀` イヤッホー とかは全く無いです。そういうの求めてる人は余所にいっぱいあるよ!

 ・ "コロニアル様式を賞賛するなんて東アジア人としての誇りを云々"という方にも向きません。

 

 

 

 

* 旅行者としてやるべきでないことも多少はやってます。

 真似するようなアホはいないと思いますが、これを参考にして何らかの損害を被っても責任は負いかねますので。

 

要は自分でアタマつかって動きなされというだけです。

 

ちなみに今回の旅のお供は遠藤周作『走馬燈』。

司馬遼『街道を行く』探したけど香港澳門は含まれてませんでした…。そして手持ちの本でこの周辺の紀行・歴史記述系が無かったのです。なので今回のテーマは耶蘇の伝来過程。

皆川博子の『海と十字架』読んでみたいなぁ…。

 

 

まず澳門。

ぱっと見はおなじみ東アジアの大都会。が、日没後の夜景とネオンがとにかく凄まじかった。ビル(下層階カジノ+ホテル)一個丸ごとLED放光で、その馬鹿でかいビルが林立。その周辺小売店街は見渡す限りの「押」ネオン。

「押」は質屋のしるしだってさ。

とにかく言葉にならない派手さ。

 

それはそうと、賭博には興味が無いのでさっさとホテルに引き上げて周辺散策。

まあホテル街。あんまり気を引かれる商店が無かった。ちっさいスーパーとか食べ物屋とかマッサージとか少ないです。けども、ホテルの 中庭じゃなく誰でも通行可な裏庭が整備されてるところが、なんかこう豊かさを感じさせました。

 

 

 

さて翌朝。

いわゆる世界遺産とその周辺の街巡りコースです(今名前付けた)。

 

* これは個人的見解ですが、こういう徒歩での史跡/街めぐりや散策には、旅行社のツアーは不向きだと思います。スケジュールびっちり決められてるし、強制的に土産物屋に連行されたりするし、同行者がDQNだったりするし。言葉が多少不自由でも、さしで話ししてたらたいがい通じるもんです。

ただ、郊外だとかちょっと乗り物チャーターしなきゃ辛いような場所にいくには重宝します。

私はそれでもバス使ったりするけど。

 

南端の媽閣廟から北上するのが大まかな予定。

容赦なく降り注ぐ線香の灰を浴びつつお参りを済ませます。石壁に文字が彫ってあるのを見ると、中華文化圏だなぁと。お山を一巡りして、タイルの広場を通って北に向かいます。

道が整備されてて、あんまり迷わずに済みそうです。迷ってもその先に面白いもんが見つかったりするし、という緩い人間には非常に楽しい街です*後述

朝9時過ぎくらいに出発したのかな?旅行者が記念撮影するようなポイントポイントはともかく、道はすいてました。

 

適当にくたびれた感じの集合住宅の間を、観光客用の南欧風石畳が縫って、その向こうには高層マンション。

住宅というか雑居ビル兼アパートは鰻の寝床状になってて、基本コンクリもしくは石造りみたいです。

手前の戸を全部取っ払って、もろ肌脱ぎのおいちゃんたちがなかを改装してるとこをよく見かけます。

 

石造りの街なのに、硬い感じがしないのは我勝ちに伸びてくる軒先と植生のせいだと思いますね。

 

 

門より花園を望む
門より花園を望む

鄭家大屋

 

ほんっと見落としそうにさりげなく、普通の家並みに紛れてたんで、警備員らしき人に手招きされるまで分かりませんでした。

 

しかしなかは広い…!

 

白壁に広くとった内庭と手入れされた植木、高い天井と濃い色の梁の重厚さ。中華風の格扇とアールデコ+アールヌーヴォー両方を取り入れた家具と装飾。気持ちのいい建物です。

(ついでにいうと、どの部屋にも巨大扇風機が置いてあるので、いろいろ助かります)

 

ごたごたと小部屋を重ねたような中華建築は、なんとなく閉鎖的な感じがして苦手だったんですが、フランス窓や格子窓を取り入れたこの邸宅は本当大好きです。

(写真がksなのは自覚している…!)

 

ところで警備のおっちゃんがふっつーに展示物の一部であろう椅子にかけてスマホ弄ってたので、私もあの中華風の角椅子にかけてみました。・・・やっぱり硬かったです。

マカオでわりと驚いたのが、わりと何処でも写真撮影可でかつ展示物も大体気軽に触れられることです(例外はあるにしても)。窓の桟ひとつとっても、造作が凝ってて気が引かれるわけです。それに触れられるというのはやはり嬉しい。

 

 

ひとつ気になることは、鄭観応一家(一族と書くべきなのか?)の生活習慣です。写真も展示されてましたが、辮髪に清服なんですよね。勿論清朝は「辮髪易服」ですから当然なんですけども、暑くないの?どうやって涼んでたの?ていうか結局纏足なの天足なの(支配層の満州族はともかく、富裕階級の漢女性は清服でも纏足することが多かった)?という。

知識不足なのでなんですが、多分真ん中のアレは主人の居室だろうな、くらいは伺えるんですが、下男部屋や水場の場所が分からない。得てして中国モノの展示はそういうの省かれるからな…。竹田の武家屋敷は見取り図に「厠」ってちゃんと書いてあるよ!

 

 

で、港務局や修道院や猫やらをみつつ歩き回ります。

しかし写真が酷い・・・。あと、「境内撮影不可」に慣れた日本人なので、どうにもこうにも宗教施設で写真撮るのに抵抗がががが。まぁ綺麗な写真はいくらでもあるし。ここでなくていいやね。

 

ともかく、聖パウロ天主堂跡の奥の納骨堂は個人的にツボでした。自然光(多分)を間接的にとりいれたホールになってて、そこにざっくり礎石を配置して、シンプルな長十字架を中央においてあるという。装飾の一切無い十字架だけれども、周囲の基調が白~ベージュだからほのかに発光しているようで、その中央に黒で凄く際立つ。その光の降りてくる天井と左右に無造作に置かれた古い遺骨が、確かに"上方"や"中心"を感じさせるんですよ。

天主教芸術博物館も面白かった。 

カソリックらしい絢爛な聖具が、ちゃんと残っているのが嬉しい。二十六聖人の殉教図が澳門でつくられたというのも、当時の東西交易の情報集積地だったという歴史を感じさせます。

 

 

以下ごく個人的な随想

詳細を記せるほど詳しくはありませんが、澳門が東方布教(と交易と諸々)の要地だったことは間違いなく、渡日した神父のほとんどはここを経由しているはずです。例えばフェレイラはここで神父の資格を得ているし、東方の神学生たちは澳門とゴアを経由してイスラエルやローマを目指したと。

個人的に、キリスト教にはどうにも陰惨さを感じてしまうのですが、こうまで街中に唐突に立ってる教会をみているとなんとなく気楽になりますね。中で祈ってる人も少なかったし。南洋のあのあっけらかんとした熱気としつっこい雲気と、その辺のベンチでだべったり寝転んだりしてるおばちゃんたちが、なんやらこう、いい感じに中和してくれる。これだって私のなかのエスノセントリズムなんだけども。

例えば―まちなかに唐突に出現する教会の一例として―崎津天主堂はとてもうつくしいけれど、あのがっちりした漁村というコミュニティとたどり着くまでの隘路*と歴史がなんかのしかかってくる。明治初期までは、一度確実に破壊されて信仰は地下に潜って。勿論その間に信仰はそのかたちを確実に変えているし、そもそも"転向"を装わねばそこで息を吹き返すことが無かった=現在の信仰者はすべて"転び""隠れ"の末裔であると。その間、お互いの顔を監視しあうようにしながら身を寄せ合っていた心情やら何やらを考えると、どうにも気が重いし、信仰が救いに繋がるものだという言説自体が自己欺瞞に思えてくる。

(*いや最近だいぶ道もよくなったんだけど)

どうでもいいけど、皆崎津に来るときは、バス使ってね!駐車場も道も狭いよ!カーナビもよく困ってるよ!バスもとんでもねー山道通るからびびるかもしれないけど!コワクナイヨー

余談で地元のいけめん。

山猫の血でも入ってんじゃないかってくらい見事な縦縞。

 

警戒心丸出しだったのをなでくりまわしてやったぜ!

(ふっと下見たときにどうみてもGな昆虫の脚がばらばらに落ちてたのは見ないことにした)

 

最初警戒してたくせに、後半やたらとまつわりついてくるもんだからろくな写真がない(言い訳)


 

 

 街のこと 

 

東アジアの街のカオスっぷりが大好きなわけです。路地に接ぐ路地とかビル街の祠とか迫り出す看板とか。

しかしこの街は予想の上を行っていたぜ・・・!丘を利用した市民公園の裏に、小さな廟堂がある、くらいなら普通なんですけど。その廟堂の回廊がアパート街まで続いててしかも皆が適当に使ってるとか思わないじゃないですか。

 

そして廃墟。

正直実家付近なんて過疎地なんで廃屋は棄てるほどあるんですが。たいがい厳重に戸締りされてるけれど、方々にガタが来てて、やがて背後(裏山)の木々に呑まれて崩れていく、というのが通例。近づくと陶器やガラスやトタンの欠片が靴の下でパキパキいう、みたいな。勿論管理してた畑や私道なんかも荒れて、近づくことも徐々に難しくなる。

 

澳門の廃墟は活きてるアパートの真裏にあったよ。

明るい日差しの下に、崩れかけの建物があるってのは面白いものですな。本当そこだけ人影が無くて、汚れた犬が一匹逃げてっただけ。

 

*** いうまでも無いことですが、真似してなんかおきてもこちらでは関知しません。旅行者ならずともやっちゃいけないことの筆頭に上がる行為です。廃墟は所有権関係でもめごとの焦点になってこともあるし、ある種の人々が縄張りにしてることもあります(これは日本でも何だったかの事件が)。

 

 

 睡佛堂 

 

このお堂は本当何なのかわかんなかった…。

例によってあんまり写真取れなかったのですが。今googleったら結構紹介されてるっぽいのでそれなりに大きいほうに数えられてるのかな…?しかしみた限りあの珍妙な構造に触れたページが何処にもない。え、これ普通なの?

 

以下、写真の通り

一見すると、平屋建ての小さなお堂です。が、覗き込むと奥に長い…?と思って踏み込むと、内門の左手にカウンター(しかし拝観料を取られるわけでもない)、両サイドに年神様の居並ぶ外殿。その奥にさらに内殿(またカウンターつき)があって、極彩色の仏像(何仏は知らない)…これ道教の神様に見えるんだけど。神仏習合の産物なのか?

横手にまた小さなお堂があって、関羽とそのなかまたちが祀られています。とりあえず小銭をあげて手を合わせますが、何を祈ればいいのか…。

さらに進むと階段。分からないままに上ると、踊り場でお姉さんが雑誌読んでるし、横手の小部屋には紙銭やら紙花やらの作りかけもしくは在庫が大量積みされてて、生活感に圧倒される。てかそこに在るの印刷所からきた紙銭の段ボール箱やろ。祀られてるのは、鍾馗?

 

三階建てくらいあって、見晴らしもいいし面白い建物だったんですが、水場がいかにも「ウチで使ってます」っていう小さい水道だったり、煉瓦積みがコンクリ打ちっぱなしに変わったと思ったら、その先の小部屋でお婆ちゃんがTV見てたり。日本では常識になってる"隔絶された神域""俗欲と切り離された聖性"なんてまったく形成されてませんでした。

あと、写真載せてるような開放型の間仕切りが多かったんですけど(写真手前、階段上下はアパートみたいなベランダ)、雨っつか台風来たらどうするんだろう。

 

なんか、無茶苦茶で面白いんですが、人のうちに上がりこんで神棚に手を合わせてるみたいな落ち着かなさ。うわー通って嘗め回すように観察してぇ。

 

 

 

 街歩きその他 

 

この辺から道に迷い始める。

まあ死にゃせんし、と買い食いしつつ猫弄りしつつ、うろつきます。

 

 

 市場 

市場といっても、市民が普通に買い物する場所らしいです。香港もそうですが、衛生管理のために?街角のビルにテナント入居っぽいかたちでまとめられています。

ざっくり分けると

 半地下 → 野菜・果実類+鶏(たいがい生きてる)

 1階   → 魚介類

 2階   → 肉類

 

さすがに計り売りだし値札はないしで、観光客が買える物は少ないのですが。そこまで変わったものはないかな。しかし空芯菜とか芽キャベツならぬ芽青梗菜とかあるとテンションあがります。

魚の名前の表記とか面白い。当然ですが、鯵だの鯛だのではなく。多分イトヨリが"馬面魚"。タコは勿論"章魚"。不思議だったのは鯵と鯖と鰹に一枚の値札しかなかったこと。まぁそんなにじっくり見てた訳でもないんですが(立ち止まると「買ってけ」と声かけられる)

 

肉売り場は好き。国外にきたって感じがする。豚の舌を売るのに、なぜか舌から始まって軟口蓋ごと切りとってあって硬口蓋部分に針金通してぶら下げられてるとか。肺を売るのに気管に針金通してぶら下げてあるとか。あれは食用部位を傷つけないようにだろうか、それともその辺も食うんだろうか。定番の豚の頭の皮もあったよ!

ちなみに、ひょっとしたら牛豚以外もあったのかも知れないけども、私には判別つきませんでした。

 

 

 

町並み

 

さて造船博物館を見たり公園をぶらぶらしたりしつつ、最後の東洋望砲台へ。当然山の上にあるので、のたくた登って17:46に到着。

17:30閉鎖だったよ。

…あきらめ悪くウロウロしてたら、管理人のポルトガル系青年に「今日はもう終わりだよ」って言われた。。。うん。手間とらしてごめん。

 

ようよう諦めて下山。山の上から方角は見定めてあったので、一路ホテルを目指します。

…行けども行けども辿り着けない。 

不精して一番小さいガイドブックしか持って行かなかったんですね。なので、目の前に通りの名の標識があっても、選ぶべき通りがどれが分からない。現在地を確定できない。しかも、町の中心を広場にしてそこから放射状に路を伸ばすという欧風の町並みなので、まっすぐ歩いて直角に曲がっているつもりでいても間違ってる。当然見通しも利かない。 

諦めてタクシーに乗ろうと決意するも、これまた捉まらない。

 

途中棺桶屋があったり個人商店の古物屋があったりでそれなりに面白いし、危機感はありませんが、焦りました。

 

この時点で8時くらいだったか?ガイドブックにある道に出会うよう祈りつつ、小走り。

タクシーキタ―――(゚∀゚)―――― !!

 

 

東洋望砲台

 

さて、10:00にはチェックアウトなので9:30までには戻らねばなりません。砲台開錠は9:00。

…旅行者は時間をお金で買います。

しかしまたもやタクシーが捉まらない。近場の溜りに走って、カジノに駆け込んで(意味もなく警官にパスポート提示を求められる)、結局ホテルに戻って見つけたタクシーに飛び込んで、とりあえず砲台まで走ります。どうせ通じないので、細かい交渉は着いてからです。(前夜フロントで訳文つくってもらおうとして失敗した)

さて、山頂で怒涛の交渉です。

言葉なんて通じてないので、ほぼ単語の応酬と筆談。通常でも広東語は怒ってるように聞こえるので、びびる必要がないというのが、ある意味では気楽。そんなんでも何とか話はまとまるもんです。

 

結論、行ってよかったです。

 

 

 

マカオ注意事項

 ・ ホテルや世界遺産周辺の店舗、ブランド店やカジノを除き、英語はほとんど通じません。

  じゃあ広東語とポルトガル語なのかって言ったら、私がそれを話せないのでわかんないんですけど。

  ただ、筆記用具差し出せば向こうが言いたいことを書いてくれたりするので、それにYes/Noを出す、金額を書き入れる、という手が使えます。漢字で書いてくれりゃなんとなく分かるし。

 ・タクシーが拾えない

  台数は少なくないはずなのに、とにかく拾えない。乗りたいときは、ホテル・カジノ・GS前か交通量の多い道端に立って気長に待ちましょう。但し、日没前のカジノはやっぱりタクシーも少ないです。夜は鈴なりなのに。 

 

 ・道が分かりにくい

  上述のとおり